パンツが好き
僕は、パンツが好きだと思う。
中台もパンツが好きだと思う。
鶴田さんも、パンツが好きだと思う。
まず、パンツを穿かないと外に出られない。
いや、仮に穿かずに外に出られるようになったとしても、僕はきっとパンツを穿いて外に出かけると思う。パンツのおかげで外に出ることが出来ている。パンツが無かったら僕は家でずっと漫画を読んでると思う。
僕は家の中ではほぼ半裸なので、パンツを穿いた時点で外に出かけるスイッチが入る。
ベルトが必要ないくらいのサイズ感のパンツを穿くとなんだか気分がいい。
中学生の頃に気にしていた、お尻がぷりぷりする感じもおじさんになった今はなんだか逆に気分がいい。あー、お尻ぷりぷりでよかった。
お尻ぷりぷりを気にしていたが故にウェストもヒップも大きいパンツをベルトで締め上げて穿くような穿き方は長い間やっていたせいか妙に落ち着く。
ウェストのサイズを気にするのすら面倒になったタイミングで手にしたイージーパンツは「これはイージーパンツです。」という名前によってちゃんとした物っぽく見えるけど、根本的にはウェストの大きいパンツをベルトで締め上げて穿く行為の拒否感を和らげる為の便利な洋服だと思う。好き。
「大きいパンツのウェスト余りを横に逃すとあまりもたつかない。」ということを昔発見した時はウェストさえ通ればどんなパンツだって穿けるような気がして楽しかった。
でも、これはミリタリーやスポーツウェア等のサイドアジャスターと同じ発想。
昔の人がちゃんとディテールとして形にしている。
もっと遡ればただの布をただの紐で固定していた名残。昔の人には敵わない。
一言に「パンツ」と言っても色々ある。
書き上げていくとキリがない。
頑張って書こうと思ったんだけどパンツがゲシュタルト崩壊を起こしそうになったからやめた。
そのパンツが作られた当時の「目的」の先に、シルエットやディテール/機能や当時の気分がある。
現代人の僕らは「昔から目的や気分を元に作られてきた、目の前にある穿いたことのないパンツ/穿いたことのあるパンツ」を穿きながら日々洋服を着ることで。
今この時この場所で、自分が、隣にいる人が、あわよくば道行く大勢の内の誰か一人の気分が良くなるように過ごす事が出来る。
機能やシーンやディテールも全く関係がない、今は休日も平日すらも関係がなくなった東京の街で。
それが出来ることはなんて楽しく幸せで、なんて素敵なことなんだろうか。
今日も僕はパンツを穿いて外に出ている。
当たり前なんだけど、それを当たり前以上にする楽しさは自分で能動的に「穿くこと」でしか味わえない。
今季、cantateにスウェットパンツを作ってもらった。
以前発売したモデルは完売した後しばらく再販を希望する声を多くいただいたけど、ああいうふざけた物を全く同じ内容で繰り返しても寒いだけだ。
というわけで、今季のモデルのベースにしたのは仏デザイナーズブランド / 70年-80年代のレディースのウールパンツ。
股上浅いしお尻のポケットもついていない。
サイドのポケットは片玉縁で袋も浅い。
バランスを見る限り女性向けの洋服だと思うんだけど、ウェストはぐるりで120cm。
ワタリ幅ぐるりで82cm、裾幅ぐるりで74cm。
こんなスペックのパンツは既存の男性服でも中々ない。
加えて、cantateのスウェット生地との相性も見えた。
懸念すべき問題は「腰回りのシャーリングがスウェット生地にした場合、邪魔に感じないか。」くらい。
そんなのはきっとどうでもいい。
うん、これで行こう。
で、出来上がったのがこれ。
迫力満点。
生地はもちもちふかふか、加えてどぅるどぅるしている。
作る前は「きっと、どうでもいい。」とか強がっていたウェストのシャーリング問題も全く気にならない。良かった。
シャーリングの位置を前、横、後ろどこにどうやって逃すか。
そういう繊細な部分だけでもパンツは、変わる。
その上に生地や、作る上でのテクニック、ディテールなどが覆い被さる。
ただの「パンツ」なのに、なんて選択肢が多いんだろう。
パンツ選びで大切なのはシルエットやサイズではなく「穿く人がかっこよく穿けること」。
そもそもシルエットの良し悪しの基準って一体、何?
サイズスペックは変更せずにそのまま。
ウェストぐるりで120cm。
ワタリ幅ぐるりで82cm。
裾幅ぐるりで74cm。
レングスだけ2種類、股下69cmの0-Sサイズと股下74cmの0-Lサイズ。
0-Sサイズを背の高い人が穿いても面白いと思う。
「こんなウェスト寸法が大きいパンツ、穿けないよう。」という方でも大丈夫。
ウェスト最小30cm。
アメリカンスピリットさんがギリ穿けないくらい。
サイドのポケットをストレートに変更。
パッチのヒップポケットを追加。
生地は吊り編機で編み立てた裏毛を使ったcantateオリジナルのスウェット生地を採用しています。
ゆっくり時間をかけて編まれたことを説明せずとも。
触れば良さの伝わる、説得力のあるスウェット生地です。
スウェットの裏糸には無撚糸を使用。
コットンを櫛で梳き、フワフワの風合いを肌側に置くことで極上の肌触りを表現。
色、風合い、着心地、全てに優れたスウェット生地を、取り効率の悪い直線的なパンツに贅沢に使ってみました。
穿かなくてもわかる、迫力。
穿けば伝わる、パッと身の迫力だけじゃないこのスウェットの魅力。
「太いパンツ」が売り場に飽和する中で、お客さんの口からも「太いパンツはたくさん持ってるので。」という言葉がちらほら聞こえるようになりました。
ただ、僕たちは昔から太いパンツを穿いていた。
「細いパンツ」が売り場に飽和する中でも、無理矢理太いパンツを探して穿いていた。
それでも、まだ、飽きない。
十数年前と履いてる靴、合わせてる洋服も違う。
数年前と履いてる靴、合わせてる洋服も違う。
更に、一概に「太いパンツ」と言っても。
裾幅/膝幅/ワタリ幅/ヒップ寸/プリーツの深さ/股上の深さ/クリースが入るか入らないか/裾の処理は何か。
そういう繊細な部分だけでもパンツは、変わる。
その上に生地や、作る上でのテクニック、ディテールなどが覆い被さる。
ただの「太いパンツ」なのに、なんて選択肢が多いんだろう。
結局、飽きる飽きないはその「繊細な部分」から生まれる違いをどれだけ楽しめるかに左右されるのではないだろうか。
結局、流行に流されるか流されないかは、流行の入り口からどれだけ深くその物を好きになれたかに左右されるのではないだろうか。
洋服の場合はその上に「その人の体型が生み出すシルエット」と「その人が持っているもの」と「その人が好きなもの」などが覆い被さる。更に「自分の感覚の外側にある物」を受け入れ始めたら、そのただの「太いパンツ」の選択肢は広がり続ける。
結局、飽きるか飽きないかは全部自分次第で、目の前の物のせいではないのだろう。
僕らは、飽きてもいいと思っている。
別にパンツのシルエットが太かろうが細かろうが、その時穿きたいものをその時穿きたいように穿ければどっちでもいい。
ただ、いつか飽きるのであればとことんやりきってから飽きたい。
僕らには暇な時間しかない。
その時間を何かに注ぎ込むことで、暇な時間は何か別の時間にきっと、変わる。
※” cantate “- Fluffy Wide Sweat Pants -は1月29日(土)から販売致します。
オンラインストアへの掲載は同日正午を予定しています。
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