ねじ12

およそ2か月近く続いた「まん延防止等重点措置」 が都内でも解除された。いろいろな状況が完全に元通りに戻ることなんてことは、現時点で望むべくもないのだけれど、それでも休業していた飲食店がシャッターを上げて久しぶりに営業を再開し始める光景を目の当たりにすると少しだけホッとする。僕の自宅近くに古くからある居酒屋や寿司屋、中華屋など、馴染みの店が閉まっていると、店の前を通るたびに「あの大将、元気かな」という心配が僕の頭をよぎってしまうので、「まん防」が明けて軒先にのれんが出ているのを見ると少しだけ安心するのだ。
ところで、この2年ほどの間にほとんどの飲食店は営業時間の短縮や営業自粛を余儀なくされた。休みの日や仕事帰りにふらりと飲み屋に寄ろうと思っても開いている店がほとんどない。開いていないのは仕方がないし、都の要請に従うことは感染症対策の意味でも彼らが生きていくためにも必要なことである。 いつもの店が開いていない以上、 僕の選択肢は限られてくる。通常時ならば足を踏み入れることのない店ののれんを必然的にくぐることになるのだ。
美味い店で美味い肴をアテにして美味い酒を飲む。僕に言わせれば、そんなことは誰にでもできる芸当である。肝心なのは、マズい店で如何にしてマズ過ぎない肴をアテにしてマズ過ぎない酒を飲むか、である。通常営業時であれば、ネット上の口コミを参考にしたり、それなりに客が入っている人気店を選べば大きくハズすことはないのだが、コロナ禍では競合店のほとんどが休業している為、不人気店がにわか繁盛店に変わっている恐れがある。とはいえ、どうしても今宵この夜、酒が飲みたい。一旦そのモードに入ってしまうと、僕はどこかの酒場に「必ず入店しなければならない」のだ。やむを得ず初めての店でオーダーする場合、観察力と想像力がモノを言う。簡単に言うと「基本的には全メニューがマズいと想定して、その中でマズくなりようがないだろう一品を選ぶ」ということに尽きる。以下、場末の汚い居酒屋に一人で初訪した際の心得。
まず、ドリンク編。第一に、生ビールは避ける。 メニューには「生ビール」と書いてあっても雑酒である可能性があるし、サーバーの洗浄が十分になされていない場合、味や匂いがイカレている恐れがある。ということで、頼むべきは瓶ビール。ラベルを偽造したりでもしない限り、必ずラベルに書いてあるとおりの銘柄のビールが飲める。瓶ビールが無ければ、ホッピー。せんべろ系居酒屋の場合、原液の焼酎自体がロクなもんじゃない可能性が高いけれど、瓶詰めされた「そと」は本物のホッピーなので半分以上は安心である。
次はフード編。まず、周りにいる先客のテーブル上を横目で確認する。大体の場合、誰かしらが刺し盛りを食べているので、その内容を観察する。一品料理であればその量を確かめる。そしてホワイトボードのオススメ、メニュー表といった感じで順次見ていく。
先日初めて入店した薄汚い居酒屋では、隣のオジさんが食べているマグロ刺しを見たところ、ピンク色のういろうを薄切りにしたような物体だったため、刺身類はすべて却下。肉じゃがや煮込み類も危なそうな感じがした。とりあえずホッピーを頼んだ後、無難そうなマカロニサラダを注文したらコンビニで売られているパックを開封しただけのような味がしたので中濃ソースで味変しながら食べた。メニュー表に「合鴨スモーク」の文字が見えたので、間違いなくスーパーで売られているパウチ食品だろうと想像したところ、まったくその通りのものが出てきたので安心して食べた。揚げ物欄に目をやると「メンチカツ」「ハムカツ」「とり天」などがあって、もっとも無難そうなのは「ハムカツ」に思えたが、ハズした上にボリュームがあり過ぎてもイヤなので、すぐ隣に書いてあった「うずらフライ」を頼んだ。うずらの卵の缶詰に衣をつけて揚げただけなので、思った通りの味がした。全然大丈夫だった。隣の客が食べていた「とりかわ串」は輪ゴムを一度溶かした後に四角く固め直して串刺しにしたようなルックスだったので避けた。やはり、危険を察知した店では「極力、人の手が加えられていないもの」を頼むに限る。
それはそうと、この手のマズい店。古くからそこにある割に何故かマズいままであり続けるなんて、ある意味ではスゴイと思う。マズいと気づいていないのか、味を改善する方法が分からないのか、マズいのは知っているけれどそのままでいいと思っているのか。実際に僕の自宅近所にも、そういう店がある。すっぽん料理・大衆割烹の看板を掲げているのだが、10年ほど前に初めて入店したとき、小上がりの畳はボロボロで毛羽が物凄かったし、料理には良いところが無かったし、なによりもハイボールが絶望的にマズかった。が、その店は40年くらい続いているし、まんぼう中も闇営業をしているのか、深夜に前を通るといつも薄明かりが灯った店内からは客の笑い声が漏れていた。僕は初めの一度っきりしか行かなかったが、その店は2年前の緊急事態宣言も切り抜けて現在も普通に営業している。
毛羽畳すっぽん屋もピンク色のういろう屋も店構えを見る限りかなり老舗のはずだが、相変わらずマズい店である。メニューの改良や品質の改善を行った形跡がまるで感じられないほど、現役バリバリで今もマズい。通常、人は向上心を持つ。駄目になることを恐れるし、努力することで他人よりも優位に立ちたがる。マズければ美味しくしようと研究するし、汚ければ綺麗にしようとする。競争に勝とうとする。しかし、これらの店には多分それがない。駄目なままであり続けること。他人に叱られようが、軽んじられようが、低く評価されようが、頑張らない。一種のパンク。ノーフューチャー。坂口安吾「堕落論」。
これらの店に唯一長所があるとすれば、それは「いつでも開いている」ということ。これから先、何度も訪れるだろう時短営業、営業自粛、閉店、不測の事態。いつもの店、美味い店が開いていないときでも、必ず開いているのがマズい店である。なぜか、彼らはしぶといのだ。3億年も昔から地球上に存在するゴキブリのように、必ず生き残る。だからこそ僕らはマズい店で出来るだけマズくない酒を飲む術を身につけなければならない。
世の中的に高く評価されているもの、高級なもの、気が利いたもの、綺麗なもの。それらが仮にすべて無くなってしまった場合、それでもマズいものは生き残る。だからこそ、僕らはそれを楽しむべきだ。価値がないダメな古着を自分のバランス感で楽しんで着られるようになれば、ヴィンテージが枯渇しようが、価格が高騰しようが、僕らは洋服を楽しむことができる。アメリカ製のボディが無くなったからといってピンク色のういろうを食べる羽目になるなんて、そんな二択は真っ平ごめんだ。20年後にファストファッション古着でも洒落ていられる人は、いま既にコロナ禍でも物事を楽しんでいる人のような気がする。
鶴田 啓