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ねじ15


 

 少し前の話になるが、映画「君の名前で僕を呼んで」(2017)を鑑賞した。公開当時から話題になっていたし僕の周囲の評判も上々だったけれど、なんとなくタイミングを逸していた。期待しすぎない程度に「さて、どうかな~」なんて思いながら配信サービスで見てみたところ…かなり良かった。いや、最高に良かったのだ。

 主人公ふたりの繊細な心の動きを、実際の演技や台詞そのものよりも、むしろシーンとシーンの間にさりげなく挿入される自然豊かな北イタリアの風景や、ジョン・アダムスや坂本龍一によるピアノを中心にした静かな楽曲がより雄弁に語っていた。エリオを演じるティモシー・シャラメはこの映画のためにピアノとギターを練習したらしいが、鍵盤のはじき方で感情表現するほどに技術を習得するプロ意識が凄まじい。本作後に撮られたウディ・アレン「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」(2019)の劇中ではチェット・ベイカー「Everything Happens To Me」をサラッと弾き語る姿が板についていたし、「芸は身を助く」とは正にこのこと。 「フレンチ・ディスパッチ」の中でもクセ者だらけのキャストの中で特別な存在感を放っていたティモシー・シャラメ。彼はすごい役者だなあ。

 音楽やカメラワークだけで映画の核になる要素の大部分を表現してしまっていた本作だが、唯一、台詞そのもので鑑賞者に訴えかけようとしたのが本編のラスト近く、エリオの父親がリビングでエリオに語りかけるシーン。ダイレクトでありながらも優しさと悲しさをたっぷりと含んだその言葉は、全編通して間接的な表現が多かった本作の中で、これまで黙って息子を見守り続けてきた父親が初めて自分の息子を一人の男性として認めた上で投げかけた長いセリフだった。本作は「決して語り過ぎにならないように、寡黙と雄弁のバランスにかなり繊細に気を配りながら」演出されたものだろう。

 ところで、1983年(原作では1987年)に設定されたこの物語の舞台の中で、完全なる「アメリカ人」として描かれているのはアーミー・ハマー演じるオリヴァー。堂々と自身に満ち溢れたキャラクターとがっしりした体躯で着こなす1980年代当時のアメカジバランスが実にハマっている。コンバースのハイトップや短めのショーツ、文武両道のインテリらしいB.Dシャツのラフなこなし方。僕にとって1983年時点でのアメリカ人ファッションは古い雑誌の広告など、イメージの中でしか体験していない遠い存在だが、この映画ではついつい洋服にも目が行ってしまうほどリアリティを持って描かれていたと思う。繊細で華奢な体つきのエリオが纏うイタリア避暑地スタイルとの対比も良かった。

 と、一点だけ。オリヴァーが着ていたたっぷり大きなサイズのB.Dシャツ。裾にチラッとポニーマークが見えたので、おそらくはラルフローレンのBIG POLOシリーズだと思われる。BIG POLOを見ると僕は自分の父親を思い出す。うちの父は体がデカい。身長が190㎝近くあり、体育教師を務めていた。職業柄もあるのだろうが、体がデカすぎてサイズが選べないのか、大体いつもジャージを着ていた。そんな父親が、転勤か何かのタイミングで教え子から洋服のプレゼントを貰って帰ってきた。それがBIG POLOの鹿の子ポロだった。プレゼントした生徒たちも大きなサイズを選ぶために苦労したのだろう。当時のファッションアイテムとしてのBIG POLOは体がデカいうちの父親の体にぴったりだった。当時中二だった僕はラルフローレンの緑色のポロシャツを着ていたが、BIG POLOは持っていなかった。BIG POLOは憧れだったので、こっそり父親のタンスから拝借して着たりしていた。それは、まるでエリオがオリヴァーから譲ってもらったシャツを着ているようなルーズフィットだった。そんな記憶が蘇る。ふと、僕が中二だったとしたら、それはリアルタイムで1992年。BIG POLOシリーズは数年間だけの展開だったはずなので、1983年のアメリカ人は着ていないはずじゃないかな…。なんて。まぁ、そんなことはどうでもいい。僕にとって、この映画はBIG POLOと言いリビングの会話シーンと言い、なんとなく自分の父親を思い出す映画にもなった。

 ところで、「君の名前で僕を呼んで」。この映画には続編の制作が予定されているらしいが、個人的には作らなくてもいいんじゃないかなぁ、と思っている。長回しで撮られた暖炉前のラストシーンは、これ以上の続きを必要としないくらい、確かに永遠を映していた。





鶴田 啓