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ねじ17




 「マンネリ」という言葉は、しばしば「退屈」に繋がるネガティブな言葉として使われることが多い。「単調でワンパターン」「模倣ばかり、独創性がない」「使い古されていて、新鮮味がない」など、同じことを繰り返す中で失われていく事象。それを避けるために、人々は「脱・マンネリ化」を掲げながら、日々新しいことにチャレンジしていく。

 一方、「マンネリ」という言葉の語源について検索すると、以下のような説明に行き当たる。

 「マニエリスム(伊: Manierismo ; 仏: Maniérisme ; 英: Mannerism)とは、ルネサンス後期の美術で、イタリアを中心にして見られる傾向を指す言葉である。マンネリズムの語源。美術史の区分としては、盛期ルネサンスとバロックの合間にあたる。イタリア語の『マニエラ(maniera:手法・様式)』に由来する言葉である。ヴァザーリはこれに「自然を凌駕する行動の芸術的手法」という意味を与えた」(Wikipediaより)

 僕は無学なので即座には理解しかねる内容だが、要するに「普遍的な美の存在を前提とした上で、最も美しいもの同士を繋ぎ合わせて可能な限りの美を作り上げる古典的様式」、つまりミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチらの作品をイメージすればよいのだろうか。細部まで緻密に計算し尽くし、黄金比の安定感を利用した上で作り出されるものは芸術のみならず、建築やファッションにも通ずるものがある。

 僕は洋服屋なので、ファッションについてのみしか語ることができないが、クラシックなスーツスタイルなどはマニエリスムの流れからくる洋服の典型だと思える。全体のシルエットや素材感、カラーリングなど、古来から人々が安定的に美しいと思う組み合わせ同士を「ジャケット、パンツ、シャツ、ネクタイ、ソックス、ポケットスクエア、シューズ」といった最小限のフォーマットに落とし込むことで、最大限の美に繋げていこうとする様式であるからだ。すなわち、正解と不正解が存在する世界。ミリ単位で加えられた修正を積み重ねていくことで、最も美しい襟型やラペルの返りやプロポーションを完成させていく。素材感や配色、ディテール本来の意味や由来に目を凝らし、親和性が高いもの同士の相性を信じ、ひたすらに完成美を追求していく。そう、つまり、ある瞬間に完成形が待ち受けているということだ。最も美しい組み合わせを編み出した後は、それを繰り返し、新しい世俗的なものには目もくれず、より強固なものに圧縮していく。

 僕は洋服屋である以上にファッション屋でもあるので、完成する前に壊したくなってしまう俗物だ。それでいながら、毎朝鏡の前でジャケットを着て、シャツに袖を通し、ネクタイを締める。マンネリに陥らないように、いつかの過去と同じ組み合わせを二度としないように心掛けている。我ながら何をやっているんだか分からなくなる時もあるが、古典的なフォーマットの上で完成美を破壊しようとしているのか。もう何千パターンとシャツ+タイの組み合わせを試し続けているので、少なくともワンパターンで満足できるような人間ではないのだろう。自ら縛り上げた世界の中でもがきながらも、安住の地は求めない。

学生時代に読んだ本、丘沢静也著「マンネリズムのすすめ」(平凡社)には「 マンネリズムは無駄なエネルギーを使わない、力まない、肩もこらない。 日々の暮らしは繰り返しが基本なので、良いマンネリは無駄なエネルギーを使わない成熟した生き方である」といった内容が記されていたが…。さて、僕のようにいつまでも成熟や完成と縁遠い生き方をする人間は、果たしてどのように進んでいくのだろうか。そんなことをぼんやりと考えながらも、明日の朝になれば僕はやっぱり鏡の前でシャツに袖を通し、ネクタイを締めるのだろう。ふと、思ったが、僕が立川流の落語を好きなのは、そんなところに理由があるような気がした。





鶴田 啓