column

ねじ19

 

 
 「今日の晩飯、作るのも考えるのもメンドクサイなぁ」と思いながら、昼酒を飲んでいたある日の夕方。「弁当でもテキトーに買って帰ればいいか」とブツクサ言いながら僕はデパ地下へ続くエスカレーターに乗った。なんとなく崎陽軒のブースに近づき、家族の分も含めて「シウマイ弁当を4つ」と言いかけた僕はカウンター上を見てぎょっとした。シウマイ弁当はおろか、すべての弁当に「入荷待ち」の札が貼ってあるのだ。弁当が全種類品切れって、一体どういうこと?別に閉店際の時間帯でもないし、頭の中ではすでに「硬めに炊かれた俵型ごはんとシウマイを交互に食べ、その合間に玉子焼きやかまぼこでビールを飲み、終盤はあのネッチリとしたあんずで口を直し、最後に一つだけ残しておいたシウマイで〆る」ことをイメージしていただけにショックは大きかった。とはいえ、無いものは仕方がないので15個入りの「昔ながらのシウマイ」をふた箱買うことにしたが、僕が会計をしている間にも、2~3組のおばさまたちが「あらっ、お弁当ナイの?」「いつ入荷するの?」と騒いでいた。

 「昔ながらのシウマイ」ふた箱をぶら下げて帰宅した後、妻にその話をしたところ、どうやら少し前にテレビで崎陽軒が紹介されたらしく、その影響で弁当類が品切れになっているらしい。「いつでもあるはずのものなのにねぇ」と妻は言った。そういえばしばらく前にマックの店頭でフライドポテトのM・Lサイズが消えたと話題になったことがあった。コロナや悪天候による物流網の混乱が原因とされていたと思う。いつでもそこにあるはずのもの。それはきっかけさえあれば、簡単に目の前から姿を消してしまう。

 ある時期まではグローバル化の名のもとに、物流と情報網を駆使すれば世界中から「安く、大量に、安定的に」モノを調達することができると考えられていた。しかし、現在ではコロナ禍や戦禍によりその供給が必ずしも永続的に保証されているわけではないと感じる人も多いだろう。食品に限らず、衣類やレザーシューズなどのファッションアイテムも例外ではない。「昔は大量に作ることができたもの」「10年前とは値段が大幅に変わったもの」「質が変化したもの」など、ありとあらゆるモノに対して同じことが言える。僕が10代を過ごした1990年代まではアメリカ製のリーバイスやコンバースなんて「いつでも、どこにでもあるはずのもの」だった。

 もはやこれから先の時代に、質や値段が確実に担保されているものなど無いのかもしれない。待っているだけではやってこない未来。よく食べている牛丼が来週には980円まで値上がりするかもしれない。販売中止になっているかもしれない。これは、必ずしも「未来は当てにならないから刹那的に生きた方がいい」と言っているわけではないが、ただ目の前にあるモノを無条件に信じる瞬間もあっていい。もっといいものがあるんじゃないかと探し続けている間に、「現在」は形を変えてどこかへ逃げ去ってしまうかもしれないから。






鶴田 啓