column

ねじ20



 時代は繰り返す。

 いまさらそんなことを言われなくても、みんながそう思っている。みんながそう思っている中で、比較的そう思っていないのは10代~20代前半の「若い世代」だ。それは当たり前か。二、三周目ではなく、今が一周目の真っ只中なのだから。すべてが新しく、目に映る。結局のところ「これは新しい!カッコいい!」と素直に興奮できる感覚こそが圧倒的に強く、純度が高い。

 僕は今、40代の半ばに差し掛かり、もしも流行が本当に20年単位で繰り返す(個人的にそうは思っていないが)のだとしたら、今は三周目に突入したあたりにいることになる。

 この数年で聞くようになった「Y2K」というワード。「Year 2000」を意味するこの言葉の実態は、2000年代前半ムードのリバイバルを指すらしい。主役はZ世代、すなわち1990年代中盤から2010年代初頭に生まれ、物心つく前からインターネットが身の周りに存在したデジタルネイティブの世代。彼らにとっては1990年代さえもが、リアルタイムでは知らない遠い過去。超ミニ丈のスカートや、ローライズで穿くボトムス、ヘソが出るくらい短い着丈のコンパクトなトップスは20年前の既出ワードだが、Z世代にとってそれらは「完全無欠の新しいもの」に見えるだろう。一方で、当時をリアルタイムで知る世代からすると「2000年代前半ファッションとY2Kは微妙に事実と食い違う」と感じるので、多少は懐かしさを覚えながらも、ある意味では僕にとっても実際に新しいのだ。現代的な解釈として。いくらリバイバルとは言え、時代が20年分は違うのだから完璧にトレースできないのは当たり前のこと。例えばMIU MIUの2022年春夏コレクションを見ると、「Y2K」のニュアンスを存分に感じられるのだが、当時をリアルタイムで知る僕から見ても新鮮な気持ちに心が躍る。

 繰り返される中で、生じる微妙なズレ。例えば「Y2K」ファッションの代表アイテムのひとつである「極端に着丈が短いトップス」は「ヘソの上」というよりも、もはや「バストのすぐ下」というくらい短い。超短丈のリブニットやタンクトップにバギーデニムや軍パンなどボリュームのあるボトムスを合わせる感覚、これは90年代リアルタイムの僕にとって「CREEP」のMVで踊るTLCに思える。このバランスはTLCをコピーした沖縄アクターズスクール周辺のアイドルたちによって日本のお茶の間にまで持ち込まれた。しかし、それは1995年頃の話で2000年にはまだまだ遠い。逆に、90’sリバイバルが叫ばれた10年前に僕が目の当たりにしたファッションの中には、むしろ1980年代のバランスに近いものが数多く見られたし、そもそも10年単位で時代を区切ること自体に無理があるのだと僕は思う、思ってきた。ひと口に「60’s」と言っても、1960年と1969年では時代のムードは全く違っていたはずだ。1970年代ファッションを基調とした「レトロ」というワードの中には60’s調のものが多く含まれているし、後世の人間が一括りにする過去のディケイドはいかにも曖昧なものである。だからこそ、まだ救われているような気もする。すべてが秤にかけられたように正確であれば、そこに創造性が働く余地はなく、さぞかし息苦しいことだろう。

 それでも、懲りずに人類は10年単位で新たなる世代に名前をつける。結果的に、意図しない形でオリジナルの定型からズレ続けていくのだ。それは、名前を付ける側の人間が「いま目の前で起こっているムーブメント」の外側に立っているからであり、そもそも渦中にいる本人達は自分の名前を「〇〇系」なんて他人と一括りに呼んで欲しいわけがないだろう。他人に与えられた「PUNK」という名前をジョニー・ロットンが最も正しく使った瞬間は、ピストルズの解散と共にジャマイカへ飛んだ彼が吐き捨てた「PUNK is dead」という捨て台詞の中にこそ存在する。つまり「Y2K」と言われて「Y2K」らしく振舞おうとする人間は、そもそも世代に関係なく「Y2K」の外側にいる人間であるという逆説。

 ところでZ世代とはY世代(=ミレニアル世代)に続くことから、その名が付いているらしい。その前にはジェネレーションX(つまり僕らの世代、1970~80年代生まれ)も存在した。XYZで終了するかと思いきや、更にその次は2020年代生まれに対してα(アルファ)世代という呼称まで先回りして用意されているという。どれだけ他人の世代に名前を付けるのが好きなんだよ、という感じもするが…どっちみち時代は繰り返すし、その都度、人のことを総括する暇があったら自分のことをやったほうがいい。少なくとも、自分の名前くらいは目の前にいる人と呼び合いたいものだ。




鶴田 啓