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ねじ22

 

 おつまみに赤いウインナー。

 昭和生まれの人ならわかると思うが、今からウン十年前、僕の子供時代に粗挽きウインナーがスーパーに並び始め、初めて食べた時は皮がパリッとハジけて中から肉汁がジュワっと溢れ出してくる感じが確かに衝撃的な味と食感、それはまるで革命のようで「ミスター味っ子」の味皇様ならば口から光線や小宇宙を吐き出しながら「うー・まー・いー・ぞぉぉぉぉっ!」と絶叫&絶賛すること間違いなし、小学生の僕も負けじと「なんじゃこりゃ?ウメーウメー!ブラボー!ハラショー!トレビアン! 好吃 !」とハナ垂らしながら粗挽きウインナーを貪り食ったんだけど、それまで日本のウインナーは赤くてなんぼ、ボソボソの歯ざわりが当たり前で、1985年に発売された皮パリ&ジューシーの元祖的存在である日本ハムの「シャウエッセン」や伊藤ハム「アルトバイエルン」は今食べても十分すぎるくらいウマいけれど、平成生まれの人たちから見れば昭和を揺るがした「皮パリ&ジューシー&粗挽き」なんて全くのデフォルト状態、更に本場ドイツからの輸入物も当たり前、そんな化石みたいな食べ物は令和の時代にわざわざ食わねーよ!って罵声が飛んできそうな気もするけれど、「深夜食堂」では松重豊扮するヤクザの竜も食べていたし、改めて赤いウインナー、色も着いてるし皮はクネクネだし、ちょっと粉っぽいし、抜群に体に悪そうなルックスを見せびらしながら、でもなんかウマい、味がいい、癖になるね、というかそもそも、うどんのコシやスイーツのシットリ感やパンのフワフワなど「いつの間にか当たり前のような顔をして世の中にチヤホヤされている画一的な価値観や物差しを簡単に盲信したくはないなー」とか思うわけで、個人的には洋服で言うところの「シルエットが綺麗」「襟のロールが美しい」なんてスーパー抽象的な文句はどーでもよくて、一方的な美意識の刷り込みはもはや通用しないダイバーシティなんでしょ?とか呟いて、だからこそモノゴトの根本にあるオリジナリティにきちんと目を向ければ、例えば501なんて作業用のガニマタシルエットだからこそ愛嬌があってイーわけで、総合的に見て「やっぱこれだな」って感じがキャラクターとして立っていれば味も服も人も多少ブサイクで構わないのだと思ったりするし、結果としてシルエットが汚い(?)服を着た時にこそ、どのようにバランスを取るかでその人の人間的なサイクが分かるんじゃないか、結局は不味いツマミでどう酒を飲むかだろ、いやちょっと違うか、ともかく改めて赤いウインナー、色も着いてるし皮はクネクネだし、ちょっと粉っぽいし、抜群に体に悪そうなルックスを見せびらしながら、よく見るとパッケージには控えめに「さめてもおいしい」とか書いてあって、つまりハナから局地戦に持ち込むつもりね、わざと冷ましてから食べますか?そーしますか?むしろその方がいーの?って一体何の話だよ、ダラダラと書きやがって、でもなんかウマい、味がいい、癖になるね、あと、単純に見た目がカワイクナイ?とかね。

 おつまみに赤いウインナー。ケチャップも忘れずに。