ねじ23

ある日、ぼんやりとテレビを見ていたら「勝俣州和はチャーハンの食べ方が独特だ」という話題で出演者たちが盛り上がっていた。まずニンジンだけを選り分けて食べ、次に玉ねぎだけを取り出して食べ、次にチャーシュー、次に卵、最後に米、という具合。つまり、一緒に炒め合わせられた具材を別々に分解して食べるクセがあるらしい。これはチャーハンに限ったことではなく、例えばサンドイッチの場合も同様で、パンと具材それぞれを個別に食べていくらしい。共演者からは「じゃあ、最初っから別々に炒めたものを小皿に分けた状態で運んできてもらえばいい」という声が当然のように上がっていたが、勝俣は「それじゃ意味ないんですよ。一緒に炒められた味じゃなくなってしまうから。一緒に炒め合わせられた状態からそれぞれを分けて食べるのが良いんです」と反論していた。酢豚程度の具材の大きさ/数ならばまだしも、いちいち米粒をバラしながらチャーハンを食べ進めていたら日が暮れてしまうし、そもそも美味しくないだろう。料理人だってきっと嫌な気持ちになる。「食べ方は客の自由」と言ってしまえばそれまでだが…。
客がどの順番で食べるかを提供する側がコントロールできる料理と言えば「コース料理」ということになる。寿司屋に行き「おまかせ」で握ってもらう場合なども含めて、食べてもらう順番を想定したうえで組み立てられたメニュー。
しかし、「コース料理」よりももっと身近なところに客が食べる順番を作り手が決定できる料理がある。焼き鳥をはじめとする「串もの」である。串刺しにされた素材を上から順番に食べていけば、必然的に作り手が決めた順番通りに食べることになる。まさか焼き鳥を根元から順に食べる人はいないだろう。
串刺しの順番に意思を感じる焼き鳥と言えば「ねぎま」だ。一般的には「もも肉・ねぎ・もも肉・ねぎ・もも肉」の順番で刺してある場合が多いように思う。ねぎともも肉を同時に口に入れるかどうかは客次第だが、いずれにしても「もも肉で始まり、もも肉で終わる」ことになる。そう思っていたのだが、ある時ふらりと入った居酒屋で「ねぎ・もも肉・もも肉・もも肉・ねぎ」という順番のねぎまに出会った。「ねぎで始まり、ねぎで終わる」パターンだ。そこで初めて、僕はねぎまの順番について考えることになった。それまで僕はなんとなく「ねぎま」は「ねぎ間」であり、もも肉の間にねぎが挟まれていることに由来していると思い込んでいた。しかし、実際には「ねぎま」の「ま」は「まぐろ」の「ま」であり、つまり本来は「ねぎま鍋」。まぐろとねぎを醤油味の出汁で煮ただけの庶民的な鍋料理がいつからか「まぐろとねぎの串刺し」に変わり、さらにまぐろよりも比較的安価な「もも肉とねぎの串刺し」に変化していったらしい。いつだったか、近所の居酒屋で「もも肉・もも肉・もも肉・もも肉・ねぎ」という順番で串打ちされた焼き鳥に出会い、その名前が「とりねぎ」だったことからも「間に挟んでないから、この店ではねぎまと名乗らないのだ」と、その確信を勝手に深めていたのだが…。もも肉で始まりねぎで終わる、その店独特の「とりねぎ」は一体なんだったのだろうか。
という、どうでもいい話。ねじのコラムはMANHOLEブログという「もも肉」に挟まれた「ねぎ」みたいな調子で書けたらいいな、なんてことをいつもぼんやりと思っている。もはや「ねじ」ではなく「ねぎ」の可能性まで出てきた。
ちなみに、僕は宴会の時に焼き鳥盛り合わせを(みんなが取り分けて食べやすいように気を利かせたつもりで)串から外して全部ばらばらにしてしまう人が嫌いだ。順番もへったくれも消え去る無情の世界。
鶴田 啓