column

ねじ24



 このコラムを定期連載するようになったからネタ探しをしている訳ではないのだけれど、僕は居酒屋でひとり飲みする時はついつい人間観察に耽ってしまうクセがある。観察とは言え、他の客をあからさまにジロジロと見つめるのは失礼なので、視線は目の前にある自分のジョッキグラスやメニュー表を貼り付けてあるカウンターの壁を見つめたままで聴覚は近隣の客に向けてなんとなく開いている状態。イヤホンを付けて動画を観たり音楽を聴いたりはせずに、ガヤガヤとした居酒屋の空気を浴びるようにキャッチしている。

 先日、いつものように行きつけの居酒屋へ吸い込まれた夜の話。僕が通された席の二つ隣に座っていた酔客は大きな声でカウンター内にいる焼き場の大将・藤田さんと話していた。彼の方を横目でちらりと一瞥すると、その客は体にぴったりフィットしたポリエステル素材の黒いTシャツ、adidasの黒いトラックパンツ(スリム)、右腕にはROLEXの金時計という出で立ち。Tシャツの袖口からはかなりビルドアップされた太い腕が二本にょきりと生えている。日サロに通っているのか全身は小麦色、頭は3㎜以下のスキンヘッド。眼光は細く鋭く、声は野太い。40歳前後?いわゆる輩(やから)ルックの要素、ほとんどすべてを兼ね備えていた。

 しかれども、この輩。店の常連客であるらしく(僕は初見)、藤田さんと話す口ぶりはごくごく親しげ。僕は彼との間に空席をひとつ挟んだ状態、50㎝の距離からなんとなく彼の挙動を間接視野でぼんやりと眺めながらチューハイのジョッキをあおっていた。ふと輩がホールスタッフの方に手を挙げて「チューハイ、おかわり」の合図。アジア系外国人スタッフが駆け寄り、空になったジョッキを受け取る。受け取ったスタッフに向けて「あ、ジョッキはそのままでいいからレモン(スライス)一枚足しておいて」と付け加えていた。ここのチューハイにはジョッキの中にレモンスライスが一枚放り込んであるのだが、「グラスそのままでレモン足しておいて」とは、もう少し酸味や香りが欲しいということか?などど考えている僕の横で、輩は藤田さんに向かって話し出した。「いやー、今の子、新入りでしょ?言っとかないと(俺のやり方が)分からないかなー、と思って」その後も彼は自分の流儀というか作法というか、いつものやり方について話し続けた。横で聞いていた僕が得た情報をまとめると、以下のような感じとなる。「チューハイにはレモンスライスが一枚入っている。二杯目をおかわりするときはジョッキはそのままで、中身と一緒にレモンスライスを一枚足してもらう。おかわりするたびに、レモンスライスを足す。そうすることで今、自分が何杯目のチューハイを飲んでいるのかを把握している。新入りのホールスタッフに頼むときは、その作法を自ら伝えるようにしている。ここのチューハイは濃いから(たしかに濃いのだ)四杯以上飲むと確実にベロベロになるので、そのようにして自己管理している」

 以上のような内容を得意げに話し終えると、続けて輩はこう言った。「いやー、この前なんかさー、新入りの子(マレーシア人)が気を利かせて、おかわりにレモンスライスを二枚入れてくれたことがあってさー、俺、途中から自分が何杯目を飲んでるんだか分かんなくなっちゃってさー」僕は横でその会話を聞きながら「たしかに、レモンスライス足してと言われたら余計にサービスしたくなるのかも」と思った。そして、同時にこうも思った。「つーか、この店はカウンター席の目の前に自分卓の伝票が置いてあるんだから、杯数を数えたいなら伝票に書いてあるチューハイ×正の字を数えなよ」

 この疑問を受けて、僕は二つの仮説を立ててみた。①この輩は伝票の存在には気付いているのだけれど、スタッフとコミュニケーションを取りたい寂しん坊であるが故に独自ルールの伝達を口実にして絡んでいる。②彼は大した常連ではない。事実、この店のカウンターに1000回以上座っている僕が彼を見たのはこの夜が初めてだった。常連なら普通、目の前の伝票に気付くでしょ。というか、チューハイの濃さに慣れろよ。

 いずれにしても、僕はなんだかこの輩が可愛らしい存在に思えてきて、なんとなく左側にいる彼の方を見た。彼も僕の方を見ていた。お互いがなんとなく話しかけようかな、と思ったであろうその瞬間、0.005秒。ふたりの間にあった空席の丸椅子に「ご新規、一名様~!」のコールと共に、新たな男性客が腰かけて二人の視線は突如絶たれた。あの時、確かに輩はこちらに話しかけようとしていたし、口は「よく来るんですか?この店」というセリフの初めの母音「お」の形をしていた。これは、①確定だな。彼。

 その後、二人は間に新規客を挟んだままで無言の時間を過ごし、しばらくすると輩は伝票を手に持って会計を済ませると、肩を丸めて店を出ていった。彼のジョッキの中にはレモンスライスが五枚散らばっていた。君の名前で僕を呼んで。






鶴田 啓