ねじ28

前回と同じ食券制の居酒屋にて。
例えば牛丼屋のように初めに一度発券するだけで完結する店ならまだしも、複数回の注文を繰り返しながら一時間以上は滞在する居酒屋において、おかわりのたびに席を離れて券売機の前に行きチケットを買い求める行為はどう考えてもめんどくさい。 その、めんどくささのおかげか(?)一度にまとめてドリンクチケットを複数枚購入するという術を僕は身に着けたことは前回にも書いた通り。それはそれ。ともかく、食券制に慣れてさえしまえば(人件費が安く抑えられているその分)24時間安く気軽に飲むことが出来るのだから仕方ない、と常々思っている。
そんなある日、いつもどおりチューハイのジョッキを傾けていたら、並びのカウンター席からお客同士の会話が聞こえた。「(店内奥の方を指さしながら)あっちの方に注文カウンターがあるから、そーそーそのチケットを…いや、そのチケットにテーブル番号を書いて、うん、テーブル番号は席の目の前に書いてあるから。そう、その赤いボールペンで、チケットに15番って書いて奥の注文カウンターに…」と、この店のシステムを丁寧に説明する常連らしき老人。その説明を受けているのはお一人様の若者で、手に数枚のチケットを持ったままで発券機の前に佇んでいた。どうやら初来店らしい。若者は無事に注文できたらしく、老人の近くに着席するのが見えた。
しばらくすると、ふたたび二人(というか主に老人)の声が聞こえてきた。「いや、いーいー。大丈夫大丈夫。要らないって。俺はもう帰るから」という内容からして、どうやら若者は「先ほどは親切に(注文の仕方を)教えてくれてありがとうございます」とお礼の意味を込めてドリンクチケットを一枚老人に渡そうとしたようだ。老人の方は「大丈夫、俺はもう帰るから」と若者のチケット譲渡を頑固に断り抜き、そのまま自分の席で飲み続けていた。
横でそれを観ていた僕は「なるほど、チケットにはそんな使い方もあったか」と思った。チューハイ一杯分のチケットならば250円。金額的にも大き過ぎないし、なにより現金を渡すような生々しさがない。実にスマートなやり方だ。その日のうちに使い切らなくても次回来た時に使うという手もある。バブル時代のショットバーで女性を口説くわけでもないので「あちらのお客様からです」と相手が頼んでもいないチューハイを店員に持って行かせるわけにもいかない。そもそも相手はお爺さんだし。食券制の店にはこんなメリットもあったか。
みたいなことを思いながら僕が飲んでいる間も老人は一向に席を立たない。その後も何度か老人は券売機の前に行き、チケットを買っていた。つまり老人は「俺はもう帰るから」と言い張ってカッコつけたわけだ。実に日本人らしい奥ゆかしさを感じる光景だった。
翌日の出勤中、銀座線に乗っていたら白髪のおばあさんが乗ってきたので席を譲った。「まぁまぁご親切にありがとうございます」と言って老女は席に座った。一分後、次の駅で僕が降りようとすると、おばあさんは席を立ち「本当にご親切にありがとうございます」と、こちらに向かって深々とおじぎをしているのが見えた。彼女も同じ駅で降りたようだ。もしかすると「次で降りるので大丈夫です」と僕が譲ろうとした席を断ることもできたのかもしれないが、公衆の面前で相手の申し出を断るよりもすんなりと受け入れた方がスマートだと思った可能性もある。
数年前、ベビーカーも抱っこ紐も持たず当時3歳の娘と出かけた時、帰り道に娘が寝てしまった。仕方なく抱っこしたままバスと電車を乗り継いで帰ったのだが、その間約一時間。およそ15㎏の幼児を両腕に抱え、吊り革にも掴まれない父親には誰も席を譲ってくれなかった。「マタニティマーク」や「白髪」「松葉杖」といった直接的なビジュアルよりも「子供を抱っこする父親」はヘルプサインとしては弱いのかもしれない。でもマジで重たいんだよ…。15㎏を一時間。いずれにしても、譲り合いは想像力。 たまにはスマホから視線をはずして、周りを見渡していたいなと思った。
鶴田 啓