ねじ30

池袋。いつもの店。夏の終わりが見えてきた盆明け、平日の16時頃。
入り口付近のカウンターに座ってチューハイを飲んでいると、70代後半くらいの爺さんがのれんをくぐって入店。常連客らしい。爺さんに気づいた藤田さんが「おー-、〇〇さん久しぶりー。でも今日はレバレアできないんだよー」と声をかける。「レバレア」とは「やきとんのレバーをレア焼き」の意味で、仕入れのタイミングや素材の鮮度によっては提供できないオーダーだ。いいよいいよ、しかたない。と言いながら爺さんは僕の二つ隣の席に座った。自動的に生ビールが運ばれてくる。「レバレアと生ビール」が爺さんにとってのいつもどおり、ということらしい。
焼き場担当の藤田さんが「〇〇さん、(レバレアは出せないんだけど)焼き物はどうする?」と尋ねると、爺さんは「とりあえず、かんぱち刺し」と答えた。しばらくして再び「焼き物どうする?」と藤田さん。藤田さんは焼きたくて仕方ない。「あぁ、うん」と爺さん。ベトナム人のホールスタッフ・ミスタが横から「まだ考えてるところダヨ(だから、催促しないであげて)」とさりげなく助け船を出す。彼女はいつも気が利く。しかし藤田さんは「気分変えてほっけでも焼くか?レバレア以外は魚しか食わねーんだし、いつも」と続け、爺さんは「まぁ、ちょっと待ちなよ、刺身頼んだから」と返す。
藤「それか、厚揚げでも焼くかい?」
爺「あー、厚揚げねぇ…(と言いながらビールを飲む爺さん)」
藤「厚揚げにするかい?」
ミ「まだ考えてるところダヨ」
爺「慌てなくても(そのうちに)頼むよ、いま考えてる」
藤「残された時間、少ないんだろ?」
笑いながら発せられた藤田さんの優しいブラックジョークに、僕はこの爺さんの余命がどれほどのものなのか気になってしまい、チラリと横目で顔を見た。まぁ、なんというか、のんびりとした表情でジョッキをゆっくりと傾けている爺さんの横顔が見えた。病気かもしれないし、病気じゃないかもしれない。しかし、この酒場に漂うおおらかな空気感。冗談が冗談として機能している。
一瞬、坂本慎太郎の歌が頭をよぎる。
僕には時間がない。
君には時間がある。
毎日が昨日とは違う新しい一日。そんな感じに聴こえるこの歌が僕は大好きだ。しかし、いざ本当に時間が無くなってしまったとき、果たして自分は残された時間をどのように過ごすだろうか?目的のもの(レバレア)が手に入らなかったとして、代わりの品を血眼で探したりすることのないおおらかな人たちの周りにだけ流れる穏やかな空気に包まれながら生きていくのも悪くないような気がした。だからこそ、笑って言えるような気がする。
そうだ、今日会おうよ。
って。
鶴田 啓