column

ねじ31



食券制の居酒屋にて。

コの字型カウンターで隣の席に一組のカップルが座ってきた。横目で見る限り、ふたりとも黒ずくめの格好、20代半ば?鼻声の女が猫なで声の男に「ドリンク何にする~?チューハイ5杯券にしよっかなー。絶対5杯券のほうが安いよー。」と話しかけている。隣の席でチューハイを飲んでいる僕は「当たり前だよ、5杯券の方が単品よりも割高になる店など存在しない」と心の中で呟く。聞くつもりはないのだけれど、声がでかいので自然と耳に入ってくる会話だ。この店では単品250円のチューハイが、3枚綴り以上のチケットで買うと1杯あたり200円になる。鼻声の女は券売機から出てきたチケットを両手で数えながら「ていうか、ここのシステムめっちゃ分かりづらいんだけどー」「なんかここのテーブルめっちゃベタつく~、めっちゃサイアク~」などと、25年前のギャルのような口調で文句ばかり言っている。食券制はむしろ明朗会計、分かりやすいことこの上ない。食券を買って、注文カウンターに置いておくとホールスタッフがフードやドリンクをテーブルまで持ってきてくれる。帰るときは自分が使ったグラスや皿を返却カウンターへ片付ける。セルフサービスを活用し、スタッフは最小限の人数。だからチューハイが1杯200円で提供できる。じつに分かりやすいし実にシンプルだ。もっと言うならば、テーブルがベタつくのはいかにもベタつきそうな店に自分たちが来ているのだからベタついて当然だし、そもそもお前はこの店がピカピカに清潔だと思いながら入ってきたのか?どー見ても、入り口の時点で汚ねーだろ。などと、彼女の言動に対する突っ込みが頭の中から溢れ出して止まらない。

注文カウンターにチケットを提出しに行くのは、暗黙のうちに猫なで声の役割になっている。その都度の料理/ドリンクオーダーを済ませて席に戻ってくる猫なで声に対して、携帯をイジる手元から視線を1ミリも外さないままで鼻声は機械的な発声で「ありがと~」と言っている。 その後も猫なで声はフードを取り分けたり醬油を取ってあげたりと、献身的に働いている様子。

しばらくするうちに鼻声は「ていうかもうすぐ12時なんだけど~、まだチューハイ券3枚も残っているのに~」という間接的なセリフで猫なで声を急かし、券売機の前でソフトドリンクのカルピスを選ぼうとした猫なで声の彼に向かって「え、なんでお酒にしないのー?」と抗議した。猫なで声は「いや…一旦(ノンアルで)」と柔らかく答えたが、鼻声はそれを「じゃあ、次は緑茶ハイね」と言って即座にねじ伏せつつ、自分のチューハイを飲みながら「なんか、ここのチューハイ、味しないんだけどー」と言った。かなりの酒豪なのか、それとも彼女の鼻が詰まっているだけなのか、鼻声は酒の味を感知できないらしい。実際のところ、ここのチューハイ類は基本的に濃い。

「なんか、わたし今日めっちゃ酔いたい気分なんだ~」と鼻声の声が聞こえる。二人の関係がいったいどういうものなのか分からないが、猫なで声は割りばしの包み紙を畳んだり広げたりの手ままごとを繰り返しながら、鼻声の声が聞こえないふりをしているように見えた。いよいよ時計は12時を回り、このカップルが終電を逃したら一体どんな感じになるのか、ことの顛末を最後まで見届けたい気もしたが、そんなことをしても僕までタクシー利用になってしまうだけなので目の前にある3杯目のチューハイをグイっと飲み干し、席を立つことにした。鼻声は「なんか、この緑茶ハイ、うすい~」としつこく言っていた。黒づくめカップルの後ろを抜けて、食器を片付けた僕が自動ドアを出るころ、背後からは「ていうか。わたしの味覚がオカシイ?」という鼻声が聞こえてきた。僕は後ろを振り返らずに、家路を急ぐ人込みの中へ向かって歩いた。

嗚呼、大都会。果てしない。





鶴田 啓