リアリティ
1年半前の春。前職時代の僕は先輩・後輩と一緒に中目黒でちょっとしたイベントを催した。そこにぶらりと顔を出してくれたのが、CLASSのデザイナー・堀切さんだった。いつもどおりのテンションで柔らかく挨拶をしてくれた堀切さんは、よく見るとシャツを3枚重ねて着ていた。
こんにちは、鶴田です。
僕の隣にいた先輩は堀切さんと20年以上の付き合いがあることもあってか「鶴田、鶴田、シャツを3枚重ねて着ている変な人がいるぞ。1枚着てることを忘れて、もう1枚着ちゃったのかな?」と堀切さんを指さした。もちろん、このセリフに嘲笑の意味は全く含まれておらず、むしろそれが親密さやリスペクトの感情を素直に表現した言葉であることは、先輩の笑顔を見てもすぐに分かった。
それにしても、シャツを3枚も重ねて着るなんて。ほんとに忘れちゃったのかな。でもボタンを留めるのが異常にめんどくさい時点で流石に気づくだろ。って。
CLASSから3枚重ねのシャツが届いた。生地違いのオーセンティックなボタンダウンシャツが3枚も重なっている。
すさまじいナンセンスの嵐。
生地の組み合わせは2バリエーション。こちらは1枚目に比べて和紙繊維×カシミアという謎のナンセンス素材を含む分だけ、プライスが高い。
堀切さんが作る服を見て「こんな(不思議な、おかしな、アヴァンギャルドな)洋服、ほんとに着る人いるの?」と言う人がいる。
いる。
まず、デザイナー本人が実際に着ている。
僕が堀切さんと初めて会ってから15年ほどが経つ。会うときはいつも「その日、堀切さんが何を着ているのか?」と、目を皿のようにして見てしまう。この目線は冒頭で堀切さんを「変な人」扱いしていた先輩も同様らしい。で、「面白い洋服着てるなぁ」とか「変わった着方してるなぁ」とか、こちらがそう思っていると2~3シーズン後にCLASSのコレクションで実際にそんなアイテムがリリースされたりする。
堀切さんは、自分を使って実験している。自分の感性の矛先を、まず自分に向ける。その感性のソースは、もしかするとほんとに「寝ぼけて、シャツを重ねて着ちゃった」瞬間かもしれないし、そうではないかもしれない。とにかく、自分で実験しながら「気分がいい」と思えたら、実際にそんな洋服をCLASSのアイテムとして作り始めるんだと思う。
朝、寝ぼけていたので着ているシャツの上からもう1枚シャツを重ねてしまったかのように。2枚重ねたシャツの上から、さらにもう1枚シャツを。そしてジャケットを。
そんな、ばかな。
シャツを3枚の重ねて着ていたら、前立てが多すぎてボタンを掛け違えてしまったかのように。
そんなばかな。
ちなみに、このシャツは3枚のシャツを肩とサイドだけでつなぎ合わせてある。背面はボタンダウンシャツとしてはオーセンティックな、センターボックスプリーツ。 内側のシャツ2枚は背中半分しか生地がないので、実際に3枚重ねになっているのは前身のみ、という複雑なつくり。
なので、裏返すとこんな感じ。暗い部屋でシャツを着たら、裏表を間違えてしまったかのように。着ることもできる?できない?できない?
そんな、ばかな。
3枚重ねのシャツを2着重ねたら、襟が6枚になる?
そんな、ばかな。
「そんなばかな」に僕らがリアリティを感じるのは実際にこの洋服を作った人が「そんなばかな」着方を実践していたから。ただ、堀切さんの場合は「本当に」ボタンダウンシャツを3枚重ねていた。 そして、それをファッションアイテムとして形にした。
堀切さんが作る服を見て「こんな(不思議な、おかしな、アヴァンギャルドな)洋服、ほんとに着る人いるの?」と言う人がいる。
答えは、いる。
そして、その「実在感」は洋服がハンガーにかかっているだけの状態ではなかなか発現しない。その洋服を着た人が実際に街を歩き、生活をしたという痕跡だけが「ファッションを現実へと向かわせる」のだ。それはSNS上のみで繰り広げられる見映えの問題だけでは獲得できないリアリティなのだ。
「このばかばかしいシャツを着てみたい」と思う人が「このばかばかしいシャツを着て」「街に出る」限り、このシャツはファンタジー上にのみ存在するペガサスのような存在では決して、ない。リアリティは他人の中にではなく、自分の中にだけ存在するものだと思う。
僕は、このシャツを着て街を歩きたい。それは本気でばかばかしさを信じたデザイナーの姿が僕に植え付けたリアリティだと思う。
鶴田 啓
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