リアリティPart2
自由について。
こんにちは、鶴田です。
昨日の河上からキラーパスが飛んできたので、今日の僕はそれに答えてみたいと思います。
「自由」について考えるとき、例えば「ルールに縛られない」というワードは比較的簡単に(中二でも)思い浮かべることができる。ではここで「いかにも自由そうな行動・態度」=「ルールに縛られない行動・態度」をひとつ挙げてみよう。
「車のボンネット上に全裸で寝転がり大きな声で奇声を発する男を乗せたまま車は東京・青山の外苑西通りを時速120㎞で逆走していく」とか。もう道路交通法も猥褻物陳列罪も関係なし、誰も俺を裁くことはできない。規則でがんじがらめな日常にオサラバ。穴あき。うーん、自由だ。
一方でそれは「ルールや常識を破壊する行動を取っている自分への恍惚や陶酔」と言えなくもない。すでに「仮想敵」としてのルールを意識した時点で縛られているような気もする。実際に、もしそれ自体が何ら法を犯すものではなくジェットコースターに乗る程度の合法行為だった場合。逆走全裸はなかば社会現象的なエンタメとして大ブーム的になり、われもわれもとフォロワー達が殺到。むしろ外苑西通りは右側通行が当たり前となり、大衆はフルチンにも見慣れ、なんならボンネット上で全裸をサポートするためのベルトが人気商品となり、もちろん合法である以上警察が注意する筋合いもないからスリルも無し、それは日常の光景となり、ふたたび退屈がやってくる。結果としてちゃんと服を着て運転席に座り左側通行している奴の方が白バイに追われたりして、その白バイも全裸で右側通行、なんか走りづらいね左側通行に戻そうか、なんつって。服、着よっかな。
いや、何の話かというと、MANHOLEにドレスシャツが入荷した。鶴田は「自由に着てください」というけれど、ほんとに自由に着ていいんですか?という話。 「 中台の普段通りの格好に合わせてこのシャツを自由に着る楽しさを鶴田さんから紹介してもらおうと思います。楽しみです」とは、昨日のブログにあった河上の言。 例えば、ドレスシャツをほとんど着たことがない中台でも自由に着られるのか。そんな疑問に今回は実践を交えながら答えてみようと思う。
この3種類のストライプシャツを使って、中台のために鶴田がスタイリングしてみた。
実例①普段通りの中台にイエローのストライプシャツとナロータイをプラス。
実例②普段通りの中台にグレーのストライプシャツをプラス。
実例③普段通りの中台にワイン色のストライプシャツとプリントタイをプラス。
自然?不自然?
3種類のコーディネートをセットして、中台に代わる代わる着てもらいながら「どう?」と尋ねたら「全然大丈夫ですね、ドレスシャツ。イケます!」と言っていた。僕もそう思う。もはやシャツを着ていない中台の姿を思い出せないくらい、初めからシャツを着ていたような佇まいで、彼はそこにいた。
「自由に着る」という行為は、自分の中で設定した仮想敵を打倒するために振りかざす武器ではない。そんなものは自由ではない。まずはじめに「この服を着てみたいな」「あんなカッコしてみたいな」という意思があり、その意思がリアリティを生み出す。シャツを3枚重ねた堀切さんもそうだった。中台の場合もやはり根底には「ドレスシャツを着てみたい」という気持ちがあった。レザーシューズでもジャケットでもいいんだけど、これからチャレンジしてみたいアイテムを前にしたときに「仮想敵サイドのルールを意識しすぎて逆にがんじがらめになるフルチン」と「自分の傍に引き寄せてバランスを取ろうとする人」とでは着こなしのリアリティに大きな差が出ると思う。
もちろん、ドレスアイテムやハイブランドのコレクションピースなど、敷居が高いと思われがちな洋服にはやはりそれなりの強さがあるので、感覚が硬直してしまう気持ちも分かる。自分自身も20年前はそうだったから。しかし、所詮は只のシャツである。
バランスを取るということ。
中台は一見すると只の自由人に見えて、実は優れたバランサーでもあると思う。新しいアイテムを取り入れた時にも、バランス感覚を重視していると思う。今回は僕が選んだコーディネートだったけれど、実際に彼がやっても同じことなんだろう。
他人からの借り物のようなアイテムを手に入れた時、借りた相手の顔色を伺いながら着るのか。それとも、目の前で鏡に映った自分自身と向き合うのか。借り物が借り物のままで終わるのか否か、その差は大きい。前者のような状態を、僕は「不自由」と呼ぶ。
誰もが自分自身のバランスを持っている。顔の似た兄弟が同じドレスシャツと同じブレザーを着ても、微妙かつ大幅に、これほどにまで出来上がりは違うのだ。
「このシャツ、”自由に着たらいい”って鶴田さんは言いますが、本当ですか?」
そろそろ、この問いに答えよう。
「はい、本当です。ただし、自由の形は人によって異なるのだと思います」
そして、その形の本質は他人である堀切さんや僕や顔の似た兄弟の目の中には宿っておらず、あなた自身の心のフォルムと照らし合わせて見つけるべきものだとも思う。テクニックはいくらでもお店で教えることができる。しかし、リアリティをもって着るためのフォルムを見つけることはできない。そういった意味で、バランス感覚とは他人との距離ではなく、自分自身との距離を測る物差しでもあるのだ。
繰り返しになるが、僕はこのシャツをお客さんに「自由に」着てほしいと思う。心から。
鶴田 啓
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