20世紀最大の芸術運動と呼ばれた「シュルレアリスム」。1919年には既に「自動書記」(何か別の存在が肉体に憑依して意思とは無関係に書記動作を行ってしまう、つまり日本で言うこっくりさんのようなもの)という形でシュルレアリスムの最初の試みが行われていたらしい。日常にある現実や倫理観をぶっ飛ばして、超現実の世界へ到達しようとする運動のはじまりである。
先日、東京都庭園美術館で開催中の展示「奇想のモード」へと足を運んだ。20世紀初頭はファッションにおける変革の時代。ファッションデザイナーがシュルレアリストと共振し、それまでの常識では考えられなかったような<奇想>をモードへ持ち込み、人々の深層心理に影響を与えた、と言われている。会場ではマン・レイやサルバドール・ダリ、ルネ・マグリット、ジョルジュ・デ・キリコといったシュルレアリストたちの作品と並んで、同時代で彼らの影響をダイレクトに受けたエルザ・スキャパレリによるドレス、アクセサリーなどが展示されていた。彼女に端を発した「モードにおけるシュルレアリスム」は、その後もヴィヴィアン・ウエストウッド~マルタン・マルジェラを始めとするデザイナーたちに受け継がれてゆき、現在に至る。トロンプロイユ(だまし絵)やインサイドアウト、分断された人体へのフェティシズム等は2022年時点までの間に繰り返し登場してきたシュルレアリスムの代表的なモチーフである。現在、MANHOLEで取り扱いのあるブランドの中でBLESSやCLASSは、シュルレアリスムの系譜にあるデザイナーであると言ってよいだろう。
シュルレアリスムが「超現実」を目指すのであれば、問題になってくるのは「今の世界の現実とは何か」という問いである。ファッションの歴史は(多少、強引な言い方をするならば)現実と超現実、リアルとシュールが波のように寄せては返し、砕け散り、の繰り返しである。昨今、リアルクローズと呼ばれるファッションが市民権を得て久しいが、それは大きな流れの中で見るとやはり繰り返しの一部分である。スケールの大小はさておき、リアルが過ぎるとやがて人間はどこかで反動的にシュールを求めるようになる。それは人間が飽きる生き物だという事実がひとつ。もうひとつは、現実の中だけでは人間は生きづらいということ。
「シュルレアリスム」が産声を上げたとされる1919年は二つの大戦の間に位置する。混乱や不穏な空気に疲れ果てた大衆が、アーティストたちが切った口火を皮切りに、現実を超えた世界へ誘われたとしても、何ら不思議ではない。
原始の時代には動物の毛皮に身を包んで当たり前に暮らしていた人間も、現代社会の中ではファー/レザーアイテムを中心とした有機物への執着をむしろ忌み嫌うようになってきた。狩猟が身近にあった時代の人間にとって毛皮はリアルクローズであったが、20世紀初頭の時点ですでにスカラベや人毛、毛皮をふんだんに使った衣類と装飾品はもはやシュールな好奇の対象に変わっている。環境問題への提言がさらに進み、フェイクファーやエコレザーがリアルになっている2022年現在。PRADAをはじめとする各ブランドがリリースした極端に部分的なフェイクファー使いは、超現実の世界へ一歩踏み出そうとする動きに思える。世界中を未だ席巻し続けるコロナ禍による閉塞感の中にあって、昨年の僕が赤瀬川原平による『超芸術トマソン』を再読する気になったのも只の偶然ではあるまい。
そして2022年、2月24日。ロシア軍がウクライナに対する軍事侵攻を開始した。
シュルレアリスムの旗手として知られるフランスの詩人は1924年に次のような言葉を記している。
「美は痙攣的なものであろう、さもなければ存在しないであろう」
―アンドレ・プルトン『ナジャ』より―
僕は、無駄に歩く。
車通りが少ない道を見つけるとすぐそこに入る。
普通は10分でいける道のりを20分、30分かけて歩く。
例えば駅を出てまっすぐ行って右、その後まーっすぐ歩けば辿り着く実家への道も。
まっすぐ行って右、まっすぐ行って左、右、左、右、右、左、まっすぐ行って信号待ち、まっすぐ行って左、まっすぐ行って左、まっすぐ行って左、右、まっすぐでゴール。
日によって右、左、まっすぐを変える。たまにぐるぐるする。
気になるもの、気に食わないものが目に入れば道を変えることが出来る。
暑かろうが寒かろうが雨だろうが雪だろうが、隣に誰かがいようがいまいが気にしない。
いや、嘘。気にする。
気にはするし、最近は歳のせいか昔より歩く距離が短くなってしまったけど、僕は無駄に歩く。
上野動物園内の最短距離、不忍の池をぐるりとまた駅に戻る。
赤い浅草の喧騒の反対側。朱色と黒の橋。邪魔な自転車に邪魔な僕。
15時ごろの隅田川はゴミが目立つ。生きてる魚は銀色、死んでるのは白、キラキラ光る黒白緑に濁った水。
見上げれば金色の雲、少し歩けば緑色の川に浮かぶ白と赤の船。手元には氷が溶けてガムシロップが沈んだ4層の甘くて苦くてぬるいアイスカフェラテ。
スカイツリーの麓から見る空は水色、登って見える光はオレンジ色、降りて見える光は赤紫色。
青暗い光の階段を上ると蛍光灯に照らされた黄緑色、透明の先の赤色、乳白色の中の赤/青/黄色。黄色と青が泳ぐ水槽。白い砂から伸びる黄色と黒。
青暗い光の階段を下ると白と黒のペンギン。脇には金魚の、赤。
出ると青黒い空、白くて黄色い点。
来た道を戻ったはずが間違えて錦糸町、更に歩いて戻ると見覚えのある銀色の橋。
夜21時の隅田川は光が目立つ。電車が通る白、街灯はオレンジ、キラキラ光る黒い水。
夜の浅草寺も赤い。もう帰ろうと電車に乗る。
上野から日比谷までは、どうやら歩けるらしい。
さて、無駄に歩く性格が災いしたせいか。
僕は人生で一度だけ怖い思いをしたことがある。
13,4年前。あれは19か20歳の春だったはずだ。
時間は深夜1時頃、終電で帰る僕は地元の駅について、いつも通り普通は10分でいける道のりを20分、30分かけて歩いて帰ることにした。
駅を出てまっすぐ行って右、その後まーっすぐ歩けば辿り着く実家への道。
まっすぐ行って右、まっすぐ行って左、右、左、右、右、左、まっすぐ行って信号待ち、まっすぐ行って左、まっすぐ行って左、まっすぐ行って左、右、まっすぐでゴール。
その途中。
まっすぐ行って右、まっすぐ行って左くらいの場所で気付いた。
後ろから「りん、りん」という鈴の音が聞こえ続けている。
なんだろう?と振り返る。後ろに女の子がいて、「わあ、大きな家。」と呟いた。
確かに目の前には地元の地主の大きな家がある。
ゾクッとしたけど、深夜1人で帰るのが怖いから同じ方向に歩く僕の後ろを歩いているだけなのかもしれないと、思うことにした。気持ちはわかるよ、この道は確かに、怖い。
ただ、念の為その大きな家をぐるりと回ってみることにした。
まっすぐ行って左、まっすぐ行って左、まっすぐ行って左。元の場所に出る。
残念ながらついてくる鈴の音、振り返るのは、怖い。
右、左、右、右、左、まっすぐ行って信号。タイミング良く点滅している青が目に入る。
で、渡り切って赤。振り返ると緑色の金網を手で掴んでガシャガシャ揺らして信号待ちをしている女の子。めちゃくちゃ怖い。
少しして振り返る、信号が変わってふらふら蛇行して横断歩道を渡る、女の子。
すぐ近くにはファミリーマート。
まっすぐ帰るのは怖い、人に会いたいし、ファミリーマートの中までは入ってこないかもしれない。
で、ファミリーマート。店員さんもいるし、お客さんもいる。安心。
多分、深夜1人で帰るのが怖いから同じ方向に歩く僕の後ろを歩いているだけだったんだろうと自分を納得させることにして、コカコーラを買って帰ることにした。コンビニに入って何も買わないのは、ありえない。
入り口から左、雑誌コーナー奥の飲み物コーナーでコカコーラを手に取ってレジに向かう。
レジに着いて会計中、自動ドアが開く。ファミマの自動ドアの音の後に聞こえる、鈴の音。
そこで僕は彼女の姿を目にする。
黄色い帽子にピンクのスカート、目があったはずなのに顔が真っ黒で見えなかった。
コカコーラを受け取って猛ダッシュ。
このまま帰るのは怖いから、昔友人が住んでいたマンションの塀の下に隠れて10分。
鈴の音は、聞こえない。
もう大丈夫そうだから、もう帰ろう。
河上 尚哉
もう半年くらい前の話だろうか。行きつけの居酒屋のカウンター席で一人、ぼんやりとチューハイを飲んでいた。入り口に一番近いその席の前にはレジがある。レジの背後には二階席へつながる階段がある。焼き場を切り盛りする大将と軽い雑談をしたり、二階から会計に降りてくる人々の様子をなんとなく観察したりしながらボーっとできるので、店内の隅っこにあるその席は僕のお気に入りだった。
焼き場の大将は僕の顔を見ると「今日は鯵がいいぞ」とか「サンマだな、今日は」などと焼き魚をオススメしてくれるので、その晩はカマスの開きをチビチビと箸でつついていた。そのうちに、二階から降りてくる男二~三人の話し声と荒っぽい足音が聞こえてきた。かなり酔っているようだ。階段はドタバタと千鳥足のリズムを鳴らしている。先に降りてきた一人がレジで会計をしているのが横目で見えた。と、次の瞬間。
「ゴロゴロゴロっ!ドスッ」と大きな音がした。とっさに顔を上げたら、カマスの開きが空中をクルクルと舞っているのが見えた。カマスはスローモーションで何回か回った後に、 べちゃっと情けない音を立てて床に落ちた。カマスが落ちた隣には、太ったおじさんと割れたジョッキとチューハイの氷が散らばっていた。あまりに一瞬のことでよく分からなかったが、どうやら泥酔したおじさんが前のめりに階段から落ちてきて僕のテーブル上をひっくり返したらしい。騒然とする店内。幸いおじさんは無事らしく、すぐに立ち上がり慌てふためきながら逃げるように店を出ていった。連れの客が「すみません、ホントすみません!」と平謝りしながら大将に1000円札を一枚渡し、これまた脱兎のごとく店を飛び出していった。1000円。僕のチューハイとカマスの弁償金という意味らしい。
ホールの女の子がほうきとちりとりで魚の残骸と割れたジョッキを集め始めると、なんとなく店全体が我を取り戻した。大将は「大丈夫だった?洋服とか濡れてない?なんだよ、あの客。あんなに酔っぱらいやがって、一番嫌いだよ、あーゆーの!」と怒っていたし、僕の隣にいたカウンター客は「ほんとだよ、あれで1000円とか(弁償金としては)桁が違うっしょ!」と同調してくれた。彼らの怒りとは裏腹に平然と落ち着いている僕の表情を見て、隣の客は「怒らないんですか?心、広いっすね…」と話しかけてきたので「いや、僕は別に(服も汚れていないし)大丈夫なんですけど、なんかカマスが可哀そうで」と答えたところ「そっか…、魚が可哀そうか…。その視点はなかったなぁ…」としきりに感心していた。そのあとも、隣客はしばらくの間「魚が可哀そうか…なるほど…」と、ブツブツ言いながらホッピーを飲んでいた。
魚が可哀そう。とっさに出た言葉だったので、僕が何を感じていたのかは自分でも分からないけれど、たしかにあの時、スローモーションで回転するカマスと僕は目が合った気がする。まだ体の1/4しか食べてもらっていないのに、宙を舞う俺。そんな末路のために俺は釣られたわけじゃない。カマスの瞳は濡れていた。僕は賠償金の1000円でチューハイのお代わりを頼み、カマスの代わりに運ばれてきたブロッコリーのガーリックマリネを食べた。帰り道もなんとなく、頭の中ではさっきのカマスがクルクルと回り続けていた。
鶴田 啓
先日、劇場で映画「フレンチ・ディスパッチ」を観た。米国新聞社の支社として、国際問題からアート、グルメまでを幅広く取り扱うフランスの雑誌「フレンチ・ディスパッチ」の編集部に所属する個性豊かな人々とその数奇な運命を描く物語である。ただし「フレンチ・ディスパッチ」誌そのものや登場人物、編集部があるとされる街はすべて、この映画のために用意された架空のものである。つまりおとぎ話。しかし、そこは稀代のストーリーテラー、ウェス・アンダーソン。めくるめくファンタジーの世界に、徹底的にキャラ付けされた登場人物の性格や主義やファッション、細部まで緻密に描きこまれた背景と街並み、あらゆる角度から執拗なまでに鍛え上げられた時代考証…諸々をタペストリーのように重層的に織り込むことで、見事なまでに血肉の通った極彩色の一大絵巻を展開してみせた。加えて、映画ファンにはたまらない(というか、ほとんど信じられないような)豪華キャストがメインからチョイ役までを固めているので、ほんのワンシーンを切り取ったとしても、そこから発せられる熱量と情報量が尋常ではない。わずか2秒しか流れないようなワンカットのためにも、一切妥協のない圧倒的な画図作りをしてみせる。更には、クセのある文体の字幕。英語圏外の人にとって、それは鑑賞と読解を同時進行でこなさなければならないスピード作業。巨大スクリーンで観るとなると尚更、映像vs字幕という2つに分断された視界が鑑賞者を一層忙しくさせる。それはまるで、食材も下ごしらえも火入れもソースも仕上げも完璧なメインディッシュがトータル9品でてくるようなコース料理。箸休めにアニメーションが差し込まれる場面もあったが…これまたクリエイティブの塊だったりして。それって、観ていて疲れないの?
答えは「疲れない」。膨大な熱量と情報量と物語性が、不思議と鑑賞者にもすんなりと入ってくる。大まかに三部構成となったそれぞれのストーリーを「フレンチ・ディスパッチ」編集部が抱える三人の曲者ライターそれぞれの語り口で展開するため、飽きることなく全編を観終えることができたのだ。映画館を後にしながら、下敷きになったテーマ性やモチーフとなった古典映画のことを考えて余韻に浸る、という後味付きのフルコース。監督と脚本を同時に担うウェス・アンダーソンならではの、見事な物語運びだった。
どんなに美味い料理も食べさせ方を間違うと、早晩、飽食状態で不味くなる。三人の編集者にそれぞれ異なる味付けで料理を運ばせたウェス・アンダーソン料理長の手腕に感服、といったところか。奇しくもMANHOLEの店舗運営やブログの更新、商品の買い付けや企画も現在は三人で行っている。店を後にしながら、お客さんが「なんかよく分かんない濃厚な時間だったけど、美味かったな。また行こう」と思ってもらえるような後味を残したいものである。別注品やエクスクルーシブや豪華キャストそのものは、もはや茶飯事の時代。つまりは、やはり届け方の話である。
鶴田 啓