森田芳光監督の映画「の・ようなもの」(1981)。若手落語家の出船亭志ん魚(しんとと)は自分の誕生日記念にソープランドへ行き、そこで働くエリザベスと出会う。ストーリー自体は80年代らしい弛緩ムードの青春コメディ。落語家の志ん魚を伊藤克信、ソープ嬢のエリザベスを秋吉久美子が演じているが、志ん魚が着こなすプレッピールックを含め、全体的になんとも味があって良い雰囲気の映画だ。2016年に続編「の・ようなもの のようなもの」が公開されているが、そちらは未見。 そもそも、本作のタイトルにもなっている「~のようなもの」という表現は三代目三遊亭金馬が得意とした噺(はなし)「居酒屋」から来ている。 居酒屋にやってきた酔客が「肴はなにができる」と小僧に尋ね、小僧が早口で「へえい、できますものは、けんちん、おしたし、鱈昆布、あんこうのようなもの、鰤(ぶり)にお芋に酢蛸でございます」と答える。「今言ったのはなんでもできるか?」と客。「そうです」と小僧。「よし、それじゃ『ようなもの』ってのを一人前持ってこい」 という掛け合いになるのだが、果たしてここで小僧が答えた「あんこうのようなもの」とは一体何だったのだろうか?この噺にインスパイアされて作られたのが立川志の輔による新作落語「バールのようなもの」である。 こちらの噺の中では、八五郎が物知りのご隠居に「『〇△区の宝石店に泥棒が侵入し、バールのようなもので店のシャッターをこじ開け、犯人は車で逃走しました』…って。あれわかりませんよねぇ」と尋ねる。「お前も大工なんだから『バール』くらい分かるだろ」とご隠居。「いや、それだとバールでしょ?『バールのようなもの』ってのがよく分からない…」「あ、なるほど。でもそれは誰もはっきりと見ていないから『バールのようなもの』と言っているんじゃないか?泥棒には違いないし、車で逃げたのも間違いないけれど、バールかどうかは分からないってことだな」「でも、バールのようなものっていったらバールじゃないんですか?」「いやいや、バールじゃないからバールのようなものって言ってるんだろ」「いやいや、バールのようなものはバールでしょ」「…お前、『これは肉のような味がしますね』と言ったとき、それは肉かい?」「肉のような…肉…とは言いませんね」と八五郎は納得する。 ちょっと複雑ではあるが、たしかにご隠居が言うように「のようなもの」と表現した時点で、それそのものとは別の何かだと認めたことになる。「あんこうのようなもの」はあんこうではない。「落語のようなもの」は落語ではないし、「映画のようなもの」は映画ではない。「ファッションのようなもの」はファッションではないかもしれないし、「ミリタリータイプのジャケット」はミリタリーアイテムではない。「1950年代風デザイン」は最近作られたもの。「クラシックテイスト」は当然、古典的ではない。じゃあ、この世に存在する真贋定かならぬ物事が全て悪なのかと言うと、そうでもないと僕は思う。 「落語のようなもの」「恋愛のようなもの」と格闘しながら自分を見つめ直す青年。「青春のようなもの」。それを切り取る「映画のようなもの」。 本編の終盤、 彼女である由美の自宅に招かれた志ん魚が、自らの落語の下手クソを指摘され、とぼとぼと帰路に就く。終電を逃し、堀切駅から浅草まで(40㎞以上?)の道を夜を徹して歩きながら道中づけ( 目の前を流れていく風景にそのままナレーションをつける)をしていくそのシーン。これはなかなかの名場面で、トランス状態の志ん魚がべらべらと描写する下町の光景に軽妙なビートのバックトラックが重なり、それはまるで、なんとも不思議な「音楽のようなもの」「ヒップホップのようなもの」「ビート文学のようなもの」に変容していた。たしかに何者でもないかもしれないけれど、素直にカッコいいと思える物事。自分自身のアイデンティティを探そうと躍起になる前に、まず歩き出すことは意外と大事なことなのかもしれない。安い居酒屋で「あんこうのようなもの」を肴に「ビールのようなもの」を飲み干すくだらない瞬間も、それはそれで嘘偽りのない「人生のようなもの」だと思う。 鶴田 啓
少し前の話になるが、映画「君の名前で僕を呼んで」(2017)を鑑賞した。公開当時から話題になっていたし僕の周囲の評判も上々だったけれど、なんとなくタイミングを逸していた。期待しすぎない程度に「さて、どうかな~」なんて思いながら配信サービスで見てみたところ…かなり良かった。いや、最高に良かったのだ。 主人公ふたりの繊細な心の動きを、実際の演技や台詞そのものよりも、むしろシーンとシーンの間にさりげなく挿入される自然豊かな北イタリアの風景や、ジョン・アダムスや坂本龍一によるピアノを中心にした静かな楽曲がより雄弁に語っていた。エリオを演じるティモシー・シャラメはこの映画のためにピアノとギターを練習したらしいが、鍵盤のはじき方で感情表現するほどに技術を習得するプロ意識が凄まじい。本作後に撮られたウディ・アレン「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」(2019)の劇中ではチェット・ベイカー「Everything Happens To Me」をサラッと弾き語る姿が板についていたし、「芸は身を助く」とは正にこのこと。 「フレンチ・ディスパッチ」の中でもクセ者だらけのキャストの中で特別な存在感を放っていたティモシー・シャラメ。彼はすごい役者だなあ。 音楽やカメラワークだけで映画の核になる要素の大部分を表現してしまっていた本作だが、唯一、台詞そのもので鑑賞者に訴えかけようとしたのが本編のラスト近く、エリオの父親がリビングでエリオに語りかけるシーン。ダイレクトでありながらも優しさと悲しさをたっぷりと含んだその言葉は、全編通して間接的な表現が多かった本作の中で、これまで黙って息子を見守り続けてきた父親が初めて自分の息子を一人の男性として認めた上で投げかけた長いセリフだった。本作は「決して語り過ぎにならないように、寡黙と雄弁のバランスにかなり繊細に気を配りながら」演出されたものだろう。 ところで、1983年(原作では1987年)に設定されたこの物語の舞台の中で、完全なる「アメリカ人」として描かれているのはアーミー・ハマー演じるオリヴァー。堂々と自身に満ち溢れたキャラクターとがっしりした体躯で着こなす1980年代当時のアメカジバランスが実にハマっている。コンバースのハイトップや短めのショーツ、文武両道のインテリらしいB.Dシャツのラフなこなし方。僕にとって1983年時点でのアメリカ人ファッションは古い雑誌の広告など、イメージの中でしか体験していない遠い存在だが、この映画ではついつい洋服にも目が行ってしまうほどリアリティを持って描かれていたと思う。繊細で華奢な体つきのエリオが纏うイタリア避暑地スタイルとの対比も良かった。 と、一点だけ。オリヴァーが着ていたたっぷり大きなサイズのB.Dシャツ。裾にチラッとポニーマークが見えたので、おそらくはラルフローレンのBIG POLOシリーズだと思われる。BIG POLOを見ると僕は自分の父親を思い出す。うちの父は体がデカい。身長が190㎝近くあり、体育教師を務めていた。職業柄もあるのだろうが、体がデカすぎてサイズが選べないのか、大体いつもジャージを着ていた。そんな父親が、転勤か何かのタイミングで教え子から洋服のプレゼントを貰って帰ってきた。それがBIG POLOの鹿の子ポロだった。プレゼントした生徒たちも大きなサイズを選ぶために苦労したのだろう。当時のファッションアイテムとしてのBIG POLOは体がデカいうちの父親の体にぴったりだった。当時中二だった僕はラルフローレンの緑色のポロシャツを着ていたが、BIG POLOは持っていなかった。BIG POLOは憧れだったので、こっそり父親のタンスから拝借して着たりしていた。それは、まるでエリオがオリヴァーから譲ってもらったシャツを着ているようなルーズフィットだった。そんな記憶が蘇る。ふと、僕が中二だったとしたら、それはリアルタイムで1992年。BIG POLOシリーズは数年間だけの展開だったはずなので、1983年のアメリカ人は着ていないはずじゃないかな…。なんて。まぁ、そんなことはどうでもいい。僕にとって、この映画はBIG POLOと言いリビングの会話シーンと言い、なんとなく自分の父親を思い出す映画にもなった。 ところで、「君の名前で僕を呼んで」。この映画には続編の制作が予定されているらしいが、個人的には作らなくてもいいんじゃないかなぁ、と思っている。長回しで撮られた暖炉前のラストシーンは、これ以上の続きを必要としないくらい、確かに永遠を映していた。 鶴田 啓
AM10:30。銀座線の渋谷駅。ホームに響き渡る「駆け込み乗車はおやめください、駆け込み乗車はおやめくださ~い!」というアナウンスの制止を振り切って一人のおばさんが3番線の車両ドアへ全速力で飛び込んでいくのが見えたが、その列車はあと4分くらい発車しない後発列車だった。車両の中で息を切らすおばさんを尻目に、4番線から「浅草行」の先発列車がゆっくりと動き出した。現代人は時間に終われている。 人間の歴史は移動手段のスピードと関係していると思う。例えば、人類が馬に乗ることを覚えなければ、世界地図は現在と全く違う形になっていただろう。もしも馬が今川義元の想像を超えるほど速く夜道を駆け抜けることが出来なければ、桶狭間の戦いで織田信長の奇襲は成功しなかっただろう。 戦に限らずとも、古代から人間の移動や輸送に大きな力を貸してきた馬。A地点の文化が遠く離れたB地点へと伝播していくとき、馬の存在無くして人は長い距離を移動することができなかっただろう。中央アジアを横断する交通路として機能したシルクロードは中国からのシルク輸出の他にも、仏教をはじめとする宗教、哲学、科学、あるいは紙や火薬のような技術の東西交換を可能にした。経済的な貿易のみならず、ペストなどの病気もシルクロードを通じて伝搬したとされている。 その後も自動車~飛行機の発明に伴って移動や輸送のスピードはますます上がり続け、人々は時間の短縮と行動範囲の拡大を手に入れた。情報に関しては手紙が電話やFAXに変わり、電気信号の応用としてインターネットが普及すると、あっという間に注文書が相手の元に届くことになった。注文から24時間以内に商品が届くほど輸送ルートは整っている。あとはSFに出てくるような転送装置さえ完成すれば注文した2秒後には商品が手元に届く時代もそう遠くないのかもしれない。 MANHOLEでは一部の商品に限ってオンラインショップを展開しているが、実際に店頭に来て頂いたお客さんにはオンラインショップ以上の楽しさを感じていただけるように日頃から考えている。先日、店内でこんな光景を見かけた。あるお客さんがパンツの購入を決定したその直後に、別のお客さんが同じパンツを目的に来店されたのだが、生憎そのパンツはそれが最後の一点だった。それを知った先のお客さんが後のお客さんに「よかったら試しに穿いてみてください。僕はそのパンツじゃなくても大丈夫なので」と勧め、後のお客さんは「いえいえ、そんな…ほんとにいいんですか?」と言いながら試着された。フィッティングから出てきたお客さんを、先のお客さんは「すごくお似合いですね」と褒めていて、結局、そのパンツは後のお客さんの手に渡った。先のお客さんは別のニットを購入された。初対面の他人同士が洋服屋の店頭でお互いに譲り合いながら買い物をする光景は、ちょっと不思議で微笑ましく、猛スピードで突っ走る現代社会のギアが少しだけ落ちたように感じた瞬間だった。 オンラインショップやブログは遠方の方々や直接お店に足を運べない人々にとって情報源であり購入手段である。数あるネットショッピングの中から、わざわざ調べて購入を検討していただくことを僕らは勿論ありがたく思っている。一方で、ファッションには情報や物質以外の側面がたしかに存在する。僕が店頭で見かけたその光景もある意味ではファッションの一部だと思う。 0か1か。二進数で進むインターネット上では、タッチの差で品切れになった商品の購入ボタンは押すことができない。しかし実際に店舗を構える洋服屋としては、スピードの優劣がすべてを決めてしまわないお店こそが個人的には理想だと思う。それは譲り合いとか、そういう意味だけではなく、欲しいものが売り切れていてもいなくても場所として機能するということ。そのスピードが緩やかになる瞬間、ファッションは激しい情報戦線やスピード争いの螺旋から抜け出し、本来いたはずの場所に戻ることができる。外苑前にあるMANHOLEは立地的には決して便利とは言えない場所にある。遠方の方々には尚更時間をかけて来てもらうお店かもしれない。しかし、僕らはスピードを落とすことを厭わずに場所を求めている。そうありたいと思っている。MANHOLEにお越しの際は、時間に余裕を持ってゆるりと来ていただきたい。ゆっくりと楽しんでいただきたいと思う。なにより、その方が銀座線へ駆け込み乗車する必要もないし。 鶴田 啓
先日、友人が運営する飯田橋のアートギャラリー「roll」へと足を運んだ。写真家・木村和平氏の写真展『石と桃』が開催されており、僕は友人への差し入れとしてコンビニで買ったハッピーターンを握りしめて地下鉄C1出口への階段を上った。 会期初日ということもあり会場にはすでに3~4組ほどの来客。木村氏も在廊していたので、しばらく作家本人と話し込んだ。聞けば木村氏は幼少期から「不思議の国のアリス症候群」という症状を抱えて生きてきたという。Wikipediaによると、この症状は「知覚された外界のものの大きさや自分の体の大きさが通常とは異なって感じられることを主症状とし、様々な主観的なイメージの変容を引き起こす症候群」とある。例えば蚊が数十㎝のサイズに感じられたり、逆に子供から見た母親が自分よりも小さくなったような気がしたりするらしい。サイズの比率が歪むだけでなく、色覚についても異常を感じたり(人の顔が緑色に見える、など)、遠近感が不安定になったり、尖ったものと柔らかいものの区別が曖昧にになったりと、その症状は実に様々であるようだ。木村氏自身の幼少期からの体験や違和感をテーマに今回の個展『石と桃』は会場内の構成を緻密に組んであり、展示方法も含めて非常に興味深い内容だった。 そういえば数日前に自宅でテレビを見ていたらCMで辻井伸行氏がピアノを弾いていた。横にいた6歳の息子が「この人、目、どうしたの?」と言うので、僕は「この人は目が見えないんだよ」と答えた。「ひとつ?え、ふたつとも見えないの?珍しいね」と息子。僕は「そうだね、でも○○(息子の名前)は目が見えるけど、ピアノが弾けないでしょ?辻井君は目が見えないけど、ピアノがとても上手に弾けるね」と返した。 木村氏は 「不思議の国のアリス症候群」 の症状のひとつとして、実際には存在しない強い蛍光色が視界に侵入してくることがあると言う。今回の展示『石と桃』では、モノクロームの作品にシルクスクリーンで蛍光ピンクを差し込んだものがあり、僕が「例えば、このピンクのような色が突然見えるということですか?」と尋ねると、木村氏は「この色も、そのひとつです」と答えた。また、現代美術家の草間彌生氏は世界のすべてが無数の水玉で構成されているように見えると語っている。つまり、草間彌生は目に見えるものをそのまま描いていることになるし、木村和平は目に見える光をそのまま撮っていることになる。 美術館やギャラリーでアートに触れたり素晴らしい音楽に出会ったりすると、目に映る風景や世界がそれまでとはまるで別物に映る、という人がいる。確かにそのような感覚はあるし、アートとはそのようなものだし、僕も過去にそのようなことを書いてきた記憶がある。しかし、それは草間彌生のように風景が水玉の集合体に見えるようになるということを意味しない。むしろ逆であって、つまり「見えなくなる」のである。アートによって新たな視点を付与されればされるほど、見えなくなる。どれだけアーティストになり切って世界を見ようともがいたところで、見えないものは見えないのだ。「彼」や「彼女」には見えたものが「自分」には見えない。見えないということが確信に変わる。体験したものが素晴らしければ素晴らしいほど、自分の目にはそれと同じような風景が見えないことに寂しさを覚え、劣等感を抱き、自らの感受性が乏しいことを呪い、妬む。とりわけ若い頃は、そのような想いに囚われる人もいるだろう。しかしいずれ、この「見えない」ということそのものが自分自身の独自性であるということに気づく。見えない、という独自性。その結果「逆に、彼らには見えなくて自分に見えるものは果たして何だろうか?」と考えることになる。 自分の想像の中で他人を一括りにすることは容易い。アーティストが見る世界を「普通じゃない」と断じることも容易い。誰もが、自分自身が見てきた風景こそ一番普通だと思って生きているから。しかし「普通じゃない、平凡ではない、独特であるのはむしろ自分の方だった」と自身の独自性を発掘する時にこそアートは機能する。飯田橋の地下鉄へ吸い込まれながら僕は思った。 少し前にオザケンこと小沢健二が、この心象を的確に五七五で詠んだことがある。「忘れるな 他人の普通は 超異常」と。この場合、言葉の強さとして「超異常」に引っ張られてしまいがちだが、実は最も恐るべきは「普通」という概念の方だったりするのだ。僕から見ると異常な言語感覚を持った他人であるはずのオザケンにとって、他人である僕の普通がそうであるように。 鶴田 啓