2022/06

ねじ23



ある日、ぼんやりとテレビを見ていたら「勝俣州和はチャーハンの食べ方が独特だ」という話題で出演者たちが盛り上がっていた。まずニンジンだけを選り分けて食べ、次に玉ねぎだけを取り出して食べ、次にチャーシュー、次に卵、最後に米、という具合。つまり、一緒に炒め合わせられた具材を別々に分解して食べるクセがあるらしい。これはチャーハンに限ったことではなく、例えばサンドイッチの場合も同様で、パンと具材それぞれを個別に食べていくらしい。共演者からは「じゃあ、最初っから別々に炒めたものを小皿に分けた状態で運んできてもらえばいい」という声が当然のように上がっていたが、勝俣は「それじゃ意味ないんですよ。一緒に炒められた味じゃなくなってしまうから。一緒に炒め合わせられた状態からそれぞれを分けて食べるのが良いんです」と反論していた。酢豚程度の具材の大きさ/数ならばまだしも、いちいち米粒をバラしながらチャーハンを食べ進めていたら日が暮れてしまうし、そもそも美味しくないだろう。料理人だってきっと嫌な気持ちになる。「食べ方は客の自由」と言ってしまえばそれまでだが…。

客がどの順番で食べるかを提供する側がコントロールできる料理と言えば「コース料理」ということになる。寿司屋に行き「おまかせ」で握ってもらう場合なども含めて、食べてもらう順番を想定したうえで組み立てられたメニュー。

しかし、「コース料理」よりももっと身近なところに客が食べる順番を作り手が決定できる料理がある。焼き鳥をはじめとする「串もの」である。串刺しにされた素材を上から順番に食べていけば、必然的に作り手が決めた順番通りに食べることになる。まさか焼き鳥を根元から順に食べる人はいないだろう。

串刺しの順番に意思を感じる焼き鳥と言えば「ねぎま」だ。一般的には「もも肉・ねぎ・もも肉・ねぎ・もも肉」の順番で刺してある場合が多いように思う。ねぎともも肉を同時に口に入れるかどうかは客次第だが、いずれにしても「もも肉で始まり、もも肉で終わる」ことになる。そう思っていたのだが、ある時ふらりと入った居酒屋で「ねぎ・もも肉・もも肉・もも肉・ねぎ」という順番のねぎまに出会った。「ねぎで始まり、ねぎで終わる」パターンだ。そこで初めて、僕はねぎまの順番について考えることになった。それまで僕はなんとなく「ねぎま」は「ねぎ間」であり、もも肉の間にねぎが挟まれていることに由来していると思い込んでいた。しかし、実際には「ねぎま」の「ま」は「まぐろ」の「ま」であり、つまり本来は「ねぎま鍋」。まぐろとねぎを醤油味の出汁で煮ただけの庶民的な鍋料理がいつからか「まぐろとねぎの串刺し」に変わり、さらにまぐろよりも比較的安価な「もも肉とねぎの串刺し」に変化していったらしい。いつだったか、近所の居酒屋で「もも肉・もも肉・もも肉・もも肉・ねぎ」という順番で串打ちされた焼き鳥に出会い、その名前が「とりねぎ」だったことからも「間に挟んでないから、この店ではねぎまと名乗らないのだ」と、その確信を勝手に深めていたのだが…。もも肉で始まりねぎで終わる、その店独特の「とりねぎ」は一体なんだったのだろうか。

という、どうでもいい話。ねじのコラムはMANHOLEブログという「もも肉」に挟まれた「ねぎ」みたいな調子で書けたらいいな、なんてことをいつもぼんやりと思っている。もはや「ねじ」ではなく「ねぎ」の可能性まで出てきた。

ちなみに、僕は宴会の時に焼き鳥盛り合わせを(みんなが取り分けて食べやすいように気を利かせたつもりで)串から外して全部ばらばらにしてしまう人が嫌いだ。順番もへったくれも消え去る無情の世界。








鶴田 啓

ねじ22

 

 おつまみに赤いウインナー。

 昭和生まれの人ならわかると思うが、今からウン十年前、僕の子供時代に粗挽きウインナーがスーパーに並び始め、初めて食べた時は皮がパリッとハジけて中から肉汁がジュワっと溢れ出してくる感じが確かに衝撃的な味と食感、それはまるで革命のようで「ミスター味っ子」の味皇様ならば口から光線や小宇宙を吐き出しながら「うー・まー・いー・ぞぉぉぉぉっ!」と絶叫&絶賛すること間違いなし、小学生の僕も負けじと「なんじゃこりゃ?ウメーウメー!ブラボー!ハラショー!トレビアン! 好吃 !」とハナ垂らしながら粗挽きウインナーを貪り食ったんだけど、それまで日本のウインナーは赤くてなんぼ、ボソボソの歯ざわりが当たり前で、1985年に発売された皮パリ&ジューシーの元祖的存在である日本ハムの「シャウエッセン」や伊藤ハム「アルトバイエルン」は今食べても十分すぎるくらいウマいけれど、平成生まれの人たちから見れば昭和を揺るがした「皮パリ&ジューシー&粗挽き」なんて全くのデフォルト状態、更に本場ドイツからの輸入物も当たり前、そんな化石みたいな食べ物は令和の時代にわざわざ食わねーよ!って罵声が飛んできそうな気もするけれど、「深夜食堂」では松重豊扮するヤクザの竜も食べていたし、改めて赤いウインナー、色も着いてるし皮はクネクネだし、ちょっと粉っぽいし、抜群に体に悪そうなルックスを見せびらしながら、でもなんかウマい、味がいい、癖になるね、というかそもそも、うどんのコシやスイーツのシットリ感やパンのフワフワなど「いつの間にか当たり前のような顔をして世の中にチヤホヤされている画一的な価値観や物差しを簡単に盲信したくはないなー」とか思うわけで、個人的には洋服で言うところの「シルエットが綺麗」「襟のロールが美しい」なんてスーパー抽象的な文句はどーでもよくて、一方的な美意識の刷り込みはもはや通用しないダイバーシティなんでしょ?とか呟いて、だからこそモノゴトの根本にあるオリジナリティにきちんと目を向ければ、例えば501なんて作業用のガニマタシルエットだからこそ愛嬌があってイーわけで、総合的に見て「やっぱこれだな」って感じがキャラクターとして立っていれば味も服も人も多少ブサイクで構わないのだと思ったりするし、結果としてシルエットが汚い(?)服を着た時にこそ、どのようにバランスを取るかでその人の人間的なサイクが分かるんじゃないか、結局は不味いツマミでどう酒を飲むかだろ、いやちょっと違うか、ともかく改めて赤いウインナー、色も着いてるし皮はクネクネだし、ちょっと粉っぽいし、抜群に体に悪そうなルックスを見せびらしながら、よく見るとパッケージには控えめに「さめてもおいしい」とか書いてあって、つまりハナから局地戦に持ち込むつもりね、わざと冷ましてから食べますか?そーしますか?むしろその方がいーの?って一体何の話だよ、ダラダラと書きやがって、でもなんかウマい、味がいい、癖になるね、あと、単純に見た目がカワイクナイ?とかね。

 おつまみに赤いウインナー。ケチャップも忘れずに。