2023年のヴァルーズ
最近は自宅で作業することが増えたせいか、いつの間にかすぐに手が届く位置に置いてある洋服が「楽」なものばかりになっていることに気付きました。
こんにちは、鶴田です。
とはいえ僕はそもそも「ジャケット」や「シャツ」や「ネクタイ」や「革靴」が好きなので、一般的に「楽」だと聞いて想像される「ジャージ」「テック系」「スウェット上下」みたいな感じとはちょっと違うかもしれませんが…。布帛のシャツは「ポロシャツ」に、ジャケットは「カーディガン」に、レースアップシューズは「スリッポン」に変わりました。なぜ「楽」な服が「楽」な位置に置いてあるのかというと、それは生活の大半の時間は洋服とは別のことを考えているからです。「洋服のコーディネートについてアレコレ考えなくてもいい」というのは、本当に楽なことなんだと気づきました。そんなの当たり前だよ、とっくにみんな気付いてるっしょ。現代人は忙しいんだよ。
はい、洋服屋であるがゆえに、気付きが遅れました。鶴田です。いえ、気づいてたけど、多少意固地になっていただけかもしれません。で…。
考え事やアウトプットが増えると、服装はシンプルで楽なものになる。そういった感覚は、過去の偉大なデザイナーやアーティスト(アルマーニやピカソ)らの私服がそうであったように、忙しい現代人にとっても当たり前のものとなっている。自分にとっての最適解を見つけ、同じものを繰り返し着続けるということは、衣類に神経を裂かなくても良い分だけ圧倒的に楽だろう。勿論すべてのケースに当てはまるわけではないし、一部のデザイナーやアーティストの中には自分自身の肉体さえもデザインやアートの一部としてアイコン化するために、複雑で凝ったコーディネートを追求し続ける人もいる。
モコモコの生地で作られた、プルオーバーシャツ。この型に形成した後に強い縮絨をかけることで、ベビーアルパカの質感を一層際立たせてある。HOFERあたりのチロリアンジャケットより、もっともっとムクムクで野趣あふれる風合い。分厚いのに柔らかい、軽い。ちなみに混率はアルパカ40%、ウール40%、ナイロン20%。
ボリュームのある素材と丸っこいシルエット。身長169㎝の山崎くんがMサイズ着用して、この感じ。
思いきりよくドロップするショルダーライン。
深く鋭く開いたVネック。
NICENESSから届いたこのプルオーバーシャツ“HAMMILL”を見て、勘が良い方は気づいたかも。ヴァルーズ。そう、これは数年前の一時期、各ブランドが挙ってリリースしていた「ヴァルーズ」タイプのプルオーバーシャツ。そして、その元ネタが1990年代の終わりにH社のデザイナーを務めていたMMに行きつくこともご存じのはず。1990年代後半のミニマルファッションにとどめを刺した「あの」名デザインを、5年ほど前に各社がリバイバルさせていたことは、まぁまぁ記憶に新しい。
身長177㎝、(最近痩せたとはいえ)骨太がっちり体型の中台がLサイズを着ても十分にたっぷり、ゆったり。
山崎君のロン毛で見えなかった襟元は、こんな感じ。
というかね、たしかに「ヴァルーズ」は「1990年代後半のミニマルファッションにとどめを刺した名デザイン」なんだけど、数年前に各社が挙ってリリースしていた「ヴァルーズ」は、もっと単純にH社の廉価版みたいなものが多かった。それに比べて、NICENESSの“HAMMILL”は、どこがミニマル?というくらいマキシマムで力強い。「すっきり、さっぱり」の要素、ほぼ無し。力強さの塊が、そこにある。
杢グレーの中に編み込まれた茶色い部分(そこだけ編地を変えてある、という凝りよう)を繋ぎ合わせていくと「サンダーバードとフクロウをモチーフにした、オリジナルのトーテムポール柄」が浮かび上がってくる。
力強い、バックスタイル。トーテムポール無しでも十分に、力強い。
そのそも、この「ヴァルーズ(varuuse)」とはフランス語で「ゆったりとした上着」あるいは「船員や漁師の仕事着」を指す言葉で、いわば「スモック」などと同じく、様々な衣服の上からガバッと被るだけのもの。着脱やコーディネートに無頓着でいられるという理由からアーティストたちに着られていた「作業着」の佇まいをした洋服である。
MMがH社でこれをモチーフにしたのは、きっと「潔く、本質的で、飾りつけた様子のない(もしくはメイクや髪型への接触を気にすることなく簡単に着脱できる)」プルオーバーシャツの形状に、現代を生きる女性像のひとつの答えを求めたからではないだろうか?つまりH社にとって(MMにとって)「ヴァルーズ」は本当の意味で「ミニマル」であったということ。しかし大概の場合、こういったエポックメイキングを模倣した廉価版に本質はなく、ただ単純に「深いVネックプルオーバーのシンプルさ」を表面上でなぞったに過ぎない。それが数年前の「ヴァルーズリバイバル」だったのだと思う。
では、なぜ、いま、このタイミングでNICENESSは「ヴァルーズ」を?
現代人は忙しい。誰もがマルチタスクを抱え、人間関係に心を砕き、膨大な情報量の中で溺れてしまわぬように効率よく取捨選択を繰り返し、タイパの向上を追い求めている。洋服についてなんて、考えたくもない。力を抜いたままでも心地よく着ることができる、できるだけコーディネートが簡単な衣服を合理的に必要としている。みんな楽な洋服を着て、ホッとしたいのかもしれない。考えない時間から癒しを見出したいのかもしれない。
が。すぐに気づく。味気ない、色気ない生活に。
力を抜くために自分で開けたはずの穴から、萎んでいく風船のように空気が抜けていくことに。
NICENESSがリリースした2023年度版「ヴァルーズ」=“HAMMILL”は、「潔く、本質的で、簡単に着脱できるプルオーバーシャツ」、つまり着脱やコーディネートに無頓着でいられるという理由からアーティストたちに着られていた「作業着」のミニマムな機能性を踏襲しつつも、一方では同時にマキシマムな要素を孕んだアイテムでもある。
軽く、柔らかく、暖かく、動きやすく、着脱しやすく、そして力強い。
疲れ果てて、昨日は泥のように眠り込んでしまった。翌朝起きてリビングをふと見ると、昨晩脱ぎっぱなしにしていた洋服がソファの上に散らばっていた。最近忙しくて、毎日のようにこればかり着ていた。結局、着やすいもの、楽なものに手が伸びてしまう。軽く、柔らかく、暖かく、動きやすく、着脱しやすいこの洋服。コーディネートしやすい杢グレー。しかし、この洋服は「ジャージ」とも「テック系」とも「スウェット上下」とも違う角度で、僕に「癒し」ではなく「力」を与えてくれる。胸にはサンダーバードとフクロウをモチーフにした柄が刻み込まれていた。それは、毎日を生きる僕らに力をくれる守り神のような存在。その力強さを胸に、乱雑な動きで「その洋服」を手に取り頭から素早く被ると、僕は玄関のドアを開けて再び外の世界へ飛び出していく。
どんなに疲れていても、時間が足りなくても、だからといってすべてを諦めなければならないなんて一体どこのだれが決めたというんだ?
これは、そんな洋服です。
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鶴田 啓
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