column

ねじ4



  MANHOLE店内の片隅には写真家・高橋恭司の最新作「Midnight Call」がひっそりと積んである。僕が氏の写真に初めて触れたのは1990年代の「Purple」だったと思う。エレン・フライスの自由な編集方針が生み出したこのマガジンからは、きらきらに浮かれたファッションムードや、(逆に)それに対しての分かりやすいアンチテーゼを感じ取ることはほとんどなかった。高橋恭司のほかにアンダース・エドストロームやマーク・ボスウィックら、当時の非・ファッションフォトグラファーが多く携わった「Purple」の誌面には、ある時は鑑賞者を冷徹に突き放すような態度で市井の人々や風景を独特の色彩で切り取ったような写真が多かったように記憶している。

 1990年代。1978年生まれの僕が少年時代の最後を過ごしたこのディケイドは、暗く冷たく、どこかドライな質感がのっぺりと張り付いたような季節であったと思える。1990年代の前半に起こったバブルの崩壊。当時中学生だった僕はバルセロナ五輪のバスケットコートで繰り広げられるドリームチームの活躍に胸を躍らせていたけれど、1994年には世界を制したシアトル出身のロックスターがショウビズの現実から逃避行を続けた末、自ら死を選んだ。僕が音楽に夢中になり始めた1995~97年ごろにリリースされたアルバムには、当然のようにカート・コバーンの影がチラついていた。闇を振り払うかのように無理矢理明るく振舞った者、反射的にその悲しみを抑え込もうとした者、逆らうことなく「だよね、わたしもツラいよ」という共感を携えて鎮魂を捧げた者…。その後も時代のムードとともに景気は沈み続け、僕が大学を卒業しようとする頃には、日本中の学生が大規模な就職難に見舞われていた。1992年に創刊された「Purple」の世界観の一端を担っていたマルタン・マルジェラというデザイナーは、そんな時代のムードをはっきりと捉え、世の中のオルタナティブでありたいと願っていた少数派の若者達の心をがっちりと掴んでいたし、僕ももれなくその若者のうちの一人であった。彼が好んだ非・ファッション的な色(色褪せた黒やベージュっぽいグレー、荒っぽくフェイドしたブルー)は、今ではむしろニュートラルな色として平穏なファッションを好む人々のテーマカラーになりつつある。

 そして2020年、COVID-19により世界はきれぎれに分断され、人々は移動や輸送の制限を余儀なくされた。グローバリズムに陰りが見え始めた世界は再び縮小し始めたかのようだ。非・ファッション的であることがノーマルであるかのように語られるこの時代に、パンデミック直前のパリを訪れた高橋恭司のカメラは果たしてどのような色を捉えていたのか。Instagramを思わせる画角で切り取られた新作のみが200ページ超のボリュームで綴られた本作は、深夜に旧友から突然かかってきた電話のように僕自身がいる現在の座標を静かに告げてくる。


 


鶴田 啓

ねじ3



 映画を観るのが好きだ。


 とか言うと、「じゃあ、さぞかし(日常的に)たくさん観るんでしょうね」と返される。実際にメチャクチャたくさん観る人に比べたらきっとそれほどでもないのだが、たしかに学生時代を含む20代前半の頃は時間もあったし、一晩で三本とかそれなりの量を見ていたと思う。勿論、ホントの映画好きならば僕の3~5倍はゆうに観ているのだろう。で、洋服屋で映画好きとなると「あの映画のこんなシーンで誰が何を着ていてカッコよかった」という話に持ち込む人もいるけれど、正直僕の方からそんな話題を切り出すことは少ない。


 なぜなら、覚えていないから。全く覚えていないわけではないけれど、「映画好きの洋服屋」として一般的に期待されるほどには覚えていない。洋服をはじめとするディテールはおろか、内容そのもの、監督や俳優の名前もすぐに忘れてしまう。だから、映画は好きだが、詳しいとは言えない。それはきっと僕の場合、受験勉強みたいなつもりで映画を観ていないからだと思う。


 一方で、具体的な固有名詞やシーンを挙げることはできなくても、洋服を見る感覚そのものは確かに積みあがっているような自覚がある。目が慣れる、とでも言うのだろうか。だが、もしも若くしてファッションを志す人たちの中に「洋服屋たるもの、着こなしについては映画を通して学ばなければいけない」という呪縛に囚われている人が今もいるのだとしたら、言ってあげたい。「観てもいいけど、期待しすぎない方がいいよ」と。


 何よりも、ディテールを目で追いながら観るような楽しみ方では、たぶん映画を観ること自体がつまらなくなって、きっと長続きしないから。 まずは楽しんだ方がいい。





鶴田 啓

ねじ2

 

 ちょうど一年前、東京都現代美術館で開催された日本を代表するアートディレクター/デザイナー・石岡瑛子の大規模な回顧展「血が、汗が、涙がデザインできるか」を鑑賞した当日に書き殴った雑記、以下。

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  展示室に入るとまず、亡くなる半年前の肉声インタビューが天井から流れていて「あ、これは言葉の展示だな」と思う。壁面には1970年代の印象的なコピーを掲げた広告群。僕がここでいう「言葉」とは、勿論「生きることに敏感なひとのPARCO」などの直接的な言葉もそうなんだけど、もっとビジュアルデザインとしての「言語力」。石岡瑛子はきっと頭のなかに渦巻くメッセージを「デザインとして言語化」する力が異常に発達した人だったのだろう。


それは例えば竹原ピストルやクレイジーケンバンドが「俺の話を聞け」と歌声で直接的に語るのと同じように、デザインするということ。色で語り、レイアウトで語り、フォントで語り、キャスティングで語る。語りかけてくるようなデザイン。そこに導入するための挑発的でカッコいいビジュアル。それらを実現するためのデザインボキャブラリーを、どれほどの熱量で磨き続けてきたのか。「音楽って、写真って、ファッションって言語化できないからさぁ~、そんな感じ~、ムードっていうか~」で済ますのは安易だし、それはたぶん表現ボキャブラリーが乏しい(努力不足)、もしくは初めからメッセージなんか何一つ無い奴が口走る逃げ口上でしょ?って言われているような、圧倒的プロフェッショナルの世界。

 ドラキュラ(1992)、ザ・セル(2001)、Bjork「コクーン」のMV(2001)。僕が10代から20代前半にかけてリアルタイムで体感した彼女のデザインという言葉は「え、そんなんアリ?」と考えさせる暇もないくらい「すげー、ナニコレ!カッコいい!新しい!」ものだったし、PARCOの広告デザインで石岡瑛子が浴びせた熱湯のような火傷覚悟のボキャブラリーは、今では冷めたお湯みたいなフツーの温度で使い回されている。というか、今を生きるあらゆるクリエイターが逃れられないままでいるトラウマのイディオムアーカイブになっているだろう。伝えたいことがあって、デザインを編む。どうすれば伝わるか。裏を返せば、どうしたら伝わらないのかを知っているということ。

 広告写真のゲラにみっちり細かく書き込まれた「すき間が空いていて美しくない」「くすんでいて汚い」「パープルをもっとヴィヴィッドに」という彼女の明確な指示を見ると、石岡瑛子の辞書に「~な感じ」という怠慢にまみれた曖昧な言葉はなかったらしい。他人が理解してくれるの待ち、みたいなことではないんだろうね、きっと。よく覚えておきます。血と汗と涙を流せば、血も汗も涙もデザインできるということ。




鶴田 啓


ねじ1

 

 東京・外苑前にあるセレクトショップ「MANHOLE」の中で、バイイング・販売・商品企画の他に、執筆やコピーライティングなど諸々を請け負う人として、自分の肩書きを「NEJI(ねじ)」とした。ネーミングのコンセプトはトップ画面「About NEJI」からご確認頂きたいのだが、主題は「別々のものを繋ぎ合わせる」こと。

 そういえば、20年以上前に「ガキ使」のオープニングトークで「ダウンタウンさんは、どちらがダウンでどちらがタウンですか?」的な質問ハガキが読まれていたが、そういえばマンホールも「穴」「蓋(ふた)」という「別々のもの」に分けることが出来る。河上が「穴」で中台が「蓋」、新品が「穴」で古着が「蓋」だろうか?その逆だろうか?そして、僕がそれらを繋ぎ合わせる「ねじ」だろうか?いや、結局はそれぞれの要素/キャラクターがグチャっと混然一体、たまに入れ代わったりしながら「MANHOLE」を形成している、という方が正しい気がする。肩書や役回りなんて、あってないようなもの。それは浜ちゃんの天然ボケが炸裂し、松ちゃんが思わず突っ込んでしまうようなものだろう。

 まぁ、いい。

 ところで、しばらく前にカリフォルニア州で「マンホールは女性と男性を区別する呼び名なので、今後はメンテナンスホールと言い換えるべき」という動きがあった。ジェンダーニュートラルを訴える意見に対して個人的には何の異論もないが、こういった動きが加速していくと、いずれはフランス語をはじめとする各国語に存在する男性名詞・女性名詞も廃止されていくのだろうか?むしろすべてを中性名詞にして冠詞も使い分けない「世界共通語」でも作った方がシンプルな気もするが、言葉や文章が本質的に持っている伝統的な情緒は失われていくようにも感じる。区別が差別に直結しない平和的な方法があれば、誰か教えて欲しいと思う。

 ちなみにフランス語でマンホールは「regard」(男性名詞)、ねじは「vis」(女性名詞)らしい。




鶴田 啓

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